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※本作には残虐描写が含まれます。
こんな人におすすめ
- 人の心理に興味がある
- じわじわくる怖さが好き
- 「自分は大丈夫」と思っている人ほど読んでほしい
気づいたら、取り込まれていた
読んでいる途中で、ふと気づいた。
「榛村大和がどんな人間か、もっと知りたい」と思っている自分に。
二十四人以上を拷問・殺害した連続殺人犯に対して、「もっと知りたい」という感情を抱いている——その事実に気づいた瞬間、背中がぞわっとした。これが、この小説の最も巧みな怖さだろう。
櫛木理宇さんの『死刑にいたる病』は、単行本刊行時のタイトルは『チェインドッグ』。改題後のタイトルはキェルケゴール『死に至る病』を参照している。
あらすじ
かつて「神童」と呼ばれた筧井雅也は挫折後、鬱屈した日々を送っていた。そこへ届いたのは、死刑囚・榛村大和からの手紙だった。
榛村は「冤罪の一件を証明してほしい」と依頼するが、それは司法的には意味を持たない依頼だった。にもかかわらず雅也は調査を始めてしまう。
やがて彼は、榛村という存在そのものに引き寄せられていく。
「冤罪証明」の不可解さ
この依頼は合理的に見れば意味がない。しかし物語の終盤で、それが「人を動かせることの証明」という目的だったことが明かされる。
つまり榛村にとって冤罪の真偽は重要ではなく、他者を操作できるかどうかが本質だった。
雅也の時間と努力は、すべて榛村の娯楽のために消費されていたことになる。
榛村に惹かれていく心理のリアリティ
雅也は劣等感と「特別でありたい」という欲求を抱えている。
榛村はその心理を正確に見抜き、「君は特別だ」と語りかけ続けることで、徐々に支配していく。
この過程は単なる洗脳ではなく、「自己評価の再構築」として描かれている点が特徴的だ。
タイトルとキェルケゴールの接続
キェルケゴールの『死に至る病』における「絶望」は、自己を持てない状態を指す。
本作では、雅也が「特別でありたいという願望」と「現実の自己否定」の間で揺れ動く構造として読める。
榛村はその外側にいる存在として描かれ、倫理や罪の意識からも逸脱している。
「感染する異常」という構造
この物語の核心は「異常は伝播する」という点にある。
榛村に関わった人々は、程度の差こそあれ影響を受けている。
それは単なる支配ではなく、受け手側の欲望や欠落が共鳴した結果でもある。
チェインドッグの意味
元タイトル『チェインドッグ(鎖に繋がれた犬)』は、自由を奪われた存在を示す。
しかし物語を読むと、鎖に繋がれているのは榛村ではなく、むしろ雅也であることが分かる。
ラストの衝撃
終盤で明かされる真実は、「すべてが榛村の掌の上だった」という構造的な残酷さと、「自分は特別ではなかった」という自己否定である。
しかしそれは同時に、幻想からの解放でもある。
怪物よりも怖いもの
怖かったのは榛村という存在ではない。
むしろ、その存在に惹かれてしまう私自身の心理だった。
特別でありたい、理解されたいという欲望は誰の中にも存在する。
そしてそれこそが、この物語の本当の恐怖なのだろう。




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