映画『リトル・シングス』感想&考察|「犯人を捕まえること」と「正義」は、同じではない

映画感想

※本記事にはプロモーション(広告)が含まれています

『リトル・シングス』
原題
The Little Things
監督
ジョン・リー・ハンコック
制作/公開
2021年アメリカ/日本未公開
時間
128分
ジャンル
ミステリー / サスペンス / 犯罪ドラマ
鑑賞後感
モヤモヤ / 重い / 後を引く / 考察したくなる
キーワード
未解決事件 / 正義 / 贖罪 / 赤いバレッタ / ディーコン / 消化不良

⚠️ ネタバレに関するご注意

この記事には映画『リトル・シングス』のネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。

この映画に期待していたものが、覆された話

デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レト——アカデミー賞受賞者が3人揃ったクライムサスペンス。という触れ込みだった。
『セブン』や『ダーク・ナイト』のような、息もつかせぬ犯人追跡劇を期待していた。

観終わって、しばらく何かが引っかかった。
それは「面白かった」「つまらなかった」では整理できない、もっと根の深い違和感だった。

そして気づいた。この映画は「スッキリする映画」ではなかった。
最初からそういう映画ではなかった。

そのことが腑に落ちたとき、初めてこの作品の奥行きが見えてきた気がした。

基本情報とあらすじ

2021年公開、ジョン・リー・ハンコック監督によるアメリカ映画。原題は『The Little Things』。
日本では劇場公開されておらず、配信でのみ視聴できる。

ちなみにこの脚本、監督が書き上げたのは1993年のこと。スティーブン・スピルバーグが「ダーク過ぎる」として離脱し、クリント・イーストウッドらも興味を示しながらも実現しなかったという、約30年越しの映画化だそう。1995年に『セブン』が世に出ていなければ、この作品の位置づけはまったく変わっていたかもしれない。

物語の舞台は1990年代初頭のロサンゼルス。携帯電話もデジタル捜査もまだ普及していない時代。

カーン郡で保安官代理を務めるジョー・”ディーク”・ディーコンは、かつてロサンゼルス市警の敏腕刑事だった。
しかしある未解決の連続殺人事件が原因で心を病み、キャリアを捨て、家庭も失い、今は田舎でひっそりと生きている。

事件の証拠品回収という雑務のためにLAPDを久しぶりに訪れたディーコンは、かつての事件と酷似した新たな連続殺人に引き込まれてしまう。

捜査を指揮する若き刑事ジム・バクスターはディーコンの経験と直感を買い、二人はバディを組む。
やがて電器店勤務の不気味な男、アルバート・スパルマが容疑者として浮かび上がるが——。

「犯人を捕まえる映画ではない」という前提

この映画の評価が分かれる最大の理由は、「ミステリー映画として期待した人」と「人間ドラマとして受け取った人」の間に生じる差にあると思う。

ジャンルとして見れば確かにクライムサスペンスだが、監督自身が「この映画に期待通りの結末は来ない」と語っている。

犯人は明示されない。謎は解かれない。真実は明らかにならない。
それはこの映画の欠陥ではなく、最初から意図された設計だ。

ではこの映画は何を描いているのか。

この映画が描いているのは、「正義を追い続けることのコスト」だ。


こんな人におすすめ
  • 『セブン』や『ゾディアック』のような重い犯罪映画が好きな人
  • 犯人探しよりも、人間心理や余韻を重視したい人
  • 明確な答えが出ない映画を考察するのが好きな人
  • デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レトの演技を楽しみたい人
  • 「正義とは何か」を考えさせられる作品を観たい人

ディーコンというキャラクターの深さ

デンゼル・ワシントンが演じるディーコンは、この映画で最も複雑な人物だ。

表向きは「未解決事件に囚われた元刑事」として描かれる。
過去の失敗を引きずり、それが心臓病を引き起こすほどの強迫観念になっている。

しかし物語が進むにつれ、ディーコンの過去に別の層が見えてくる。

彼が心を病んだのは「未解決事件のせい」だけではなく、「自分が何かをしたせい」でもあるようだ。

ディーコンの夢に繰り返し現れる女性の幻影。元同僚が彼を見る複雑な眼差し。「ディーコンには近づくな」という署長の忠告。
これらの断片が積み重なることで、観る側は「この男の過去に何があったのか」を自分なりに組み立てながら見ることになる。

その不穏さは、ときに「ディーコン自身が何か重大な一線を越えたのではないか」と感じさせるほどだ。
そう思わせる構造自体が、この映画の巧妙さでもある。

確かなのは、彼が過去に何らかの形で「一線を越えた」ということだ。
そしてその罪を誰にも告白できないまま、生き続けてきた。

彼の「仕事への執着」は、贖罪の形を取った自己罰なのかもしれない。

バクスターはディーコンの「鏡」だった

ラミ・マレック演じるバクスターは、一貫して「優秀なエリート刑事」として描かれる。

証拠を積み上げる理性的な捜査スタイル、被害者家族への誠実な対応、職業倫理への信頼——何もかもがディーコンとは対照的に見える。

しかし終盤、容疑者スパルマに挑発され続けたバクスターは、ついに一線を越えてしまう。

証拠のないまま容疑者を追い詰め、怒りに任せてスパルマを撲殺してしまう。

そしてディーコンは、バクスターの罪を隠蔽する手助けをする。

この瞬間、二人の立場が重なる。

バクスターは、かつてのディーコンだったのだ。

「ディーコンに近づくな」という忠告は、彼が危険だからではなく、
彼の周りでは人が変わってしまうからだったのかもしれない。

スパルマは本当に犯人だったのか

ジャレッド・レトが怪演したアルバート・スパルマは、この映画最大の謎だ。

彼の言動はどこまでも挑発的で、最後まで真実を明かさない。

彼が犯人だったのか——映画は答えを出さない。

重要なのは「誰が犯人か」ではなく、
彼を犯人だと信じた人間がどう変わったかだ。

スパルマは、外側の悪というよりも、
人間の内側にある暗部を引き出す「触媒」として機能していると思う。

赤いバレッタが意味するもの

ラストでディーコンは、バクスターに赤いバレッタを郵送する。

しかしそれは本物ではなく、後からディーコンが用意した偽物だった。

なぜそんなことをしたのか。

それは、バクスターを「自分と同じ地獄」に落とさないためだったのかもしれない。

しかし同時にそれは、「嘘で人を救う」という行為でもある。

ディーコンの言葉——「天使はいない」。

それは慰めではなく、
救いは外から来ないという現実の宣告でもある。

「消化不良」の正体

この映画を観て「消化不良だった」と感じた人は多いと思う。

それは、映画が未完成だからではない。
観客に問いを返したまま終わる構造だからだ。

犯人は誰か。正義は果たされたのか。
そのすべてが宙ぶらりんのまま残される。

それが不快になる人もいれば、余韻になる人もいる。

現実の世界もまた、スッキリとは解決しない。

この映画は、その不条理を「消化不良」という形で突きつけてくる。

三人のオスカー俳優の演技はどれも見事だが、特にデンゼル・ワシントンの静かな重みは印象的だ。

明確な答えを求める人には向かない。
曖昧さや余韻を楽しめる人には、深く刺さる作品だと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました