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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には映画『リトル・シングス』のネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。
この映画に期待していたものが、覆された話
デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レト——アカデミー賞受賞者が3人揃ったクライムサスペンス。という触れ込みだった。
『セブン』や『ダーク・ナイト』のような、息もつかせぬ犯人追跡劇を期待していた。
観終わって、しばらく何かが引っかかった。
それは「面白かった」「つまらなかった」では整理できない、もっと根の深い違和感だった。
そして気づいた。この映画は「スッキリする映画」ではなかった。
最初からそういう映画ではなかった。
そのことが腑に落ちたとき、初めてこの作品の奥行きが見えてきた気がした。
基本情報とあらすじ
2021年公開、ジョン・リー・ハンコック監督によるアメリカ映画。原題は『The Little Things』。
日本では劇場公開されておらず、配信でのみ視聴できる。
ちなみにこの脚本、監督が書き上げたのは1993年のこと。スティーブン・スピルバーグが「ダーク過ぎる」として離脱し、クリント・イーストウッドらも興味を示しながらも実現しなかったという、約30年越しの映画化だそう。1995年に『セブン』が世に出ていなければ、この作品の位置づけはまったく変わっていたかもしれない。
物語の舞台は1990年代初頭のロサンゼルス。携帯電話もデジタル捜査もまだ普及していない時代。
カーン郡で保安官代理を務めるジョー・”ディーク”・ディーコンは、かつてロサンゼルス市警の敏腕刑事だった。
しかしある未解決の連続殺人事件が原因で心を病み、キャリアを捨て、家庭も失い、今は田舎でひっそりと生きている。
事件の証拠品回収という雑務のためにLAPDを久しぶりに訪れたディーコンは、かつての事件と酷似した新たな連続殺人に引き込まれてしまう。
捜査を指揮する若き刑事ジム・バクスターはディーコンの経験と直感を買い、二人はバディを組む。
やがて電器店勤務の不気味な男、アルバート・スパルマが容疑者として浮かび上がるが——。
「犯人を捕まえる映画ではない」という前提
この映画の評価が分かれる最大の理由は、「ミステリー映画として期待した人」と「人間ドラマとして受け取った人」の間に生じる差にあると思う。
ジャンルとして見れば確かにクライムサスペンスだが、監督自身が「この映画に期待通りの結末は来ない」と語っている。
犯人は明示されない。謎は解かれない。真実は明らかにならない。
それはこの映画の欠陥ではなく、最初から意図された設計だ。
ではこの映画は何を描いているのか。
この映画が描いているのは、「正義を追い続けることのコスト」だ。
- 『セブン』や『ゾディアック』のような重い犯罪映画が好きな人
- 犯人探しよりも、人間心理や余韻を重視したい人
- 明確な答えが出ない映画を考察するのが好きな人
- デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レトの演技を楽しみたい人
- 「正義とは何か」を考えさせられる作品を観たい人
ディーコンというキャラクターの深さ
デンゼル・ワシントンが演じるディーコンは、この映画で最も複雑な人物だ。
表向きは「未解決事件に囚われた元刑事」として描かれる。
過去の失敗を引きずり、それが心臓病を引き起こすほどの強迫観念になっている。
しかし物語が進むにつれ、ディーコンの過去に別の層が見えてくる。
彼が心を病んだのは「未解決事件のせい」だけではなく、「自分が何かをしたせい」でもあるようだ。
ディーコンの夢に繰り返し現れる女性の幻影。元同僚が彼を見る複雑な眼差し。「ディーコンには近づくな」という署長の忠告。
これらの断片が積み重なることで、観る側は「この男の過去に何があったのか」を自分なりに組み立てながら見ることになる。
その不穏さは、ときに「ディーコン自身が何か重大な一線を越えたのではないか」と感じさせるほどだ。
そう思わせる構造自体が、この映画の巧妙さでもある。
確かなのは、彼が過去に何らかの形で「一線を越えた」ということだ。
そしてその罪を誰にも告白できないまま、生き続けてきた。
彼の「仕事への執着」は、贖罪の形を取った自己罰なのかもしれない。
バクスターはディーコンの「鏡」だった
ラミ・マレック演じるバクスターは、一貫して「優秀なエリート刑事」として描かれる。
証拠を積み上げる理性的な捜査スタイル、被害者家族への誠実な対応、職業倫理への信頼——何もかもがディーコンとは対照的に見える。
しかし終盤、容疑者スパルマに挑発され続けたバクスターは、ついに一線を越えてしまう。
証拠のないまま容疑者を追い詰め、怒りに任せてスパルマを撲殺してしまう。
そしてディーコンは、バクスターの罪を隠蔽する手助けをする。
この瞬間、二人の立場が重なる。
バクスターは、かつてのディーコンだったのだ。
「ディーコンに近づくな」という忠告は、彼が危険だからではなく、
彼の周りでは人が変わってしまうからだったのかもしれない。
スパルマは本当に犯人だったのか
ジャレッド・レトが怪演したアルバート・スパルマは、この映画最大の謎だ。
彼の言動はどこまでも挑発的で、最後まで真実を明かさない。
彼が犯人だったのか——映画は答えを出さない。
重要なのは「誰が犯人か」ではなく、
彼を犯人だと信じた人間がどう変わったかだ。
スパルマは、外側の悪というよりも、
人間の内側にある暗部を引き出す「触媒」として機能していると思う。
赤いバレッタが意味するもの
ラストでディーコンは、バクスターに赤いバレッタを郵送する。
しかしそれは本物ではなく、後からディーコンが用意した偽物だった。
なぜそんなことをしたのか。
それは、バクスターを「自分と同じ地獄」に落とさないためだったのかもしれない。
しかし同時にそれは、「嘘で人を救う」という行為でもある。
ディーコンの言葉——「天使はいない」。
それは慰めではなく、
救いは外から来ないという現実の宣告でもある。
「消化不良」の正体
この映画を観て「消化不良だった」と感じた人は多いと思う。
それは、映画が未完成だからではない。
観客に問いを返したまま終わる構造だからだ。
犯人は誰か。正義は果たされたのか。
そのすべてが宙ぶらりんのまま残される。
それが不快になる人もいれば、余韻になる人もいる。
現実の世界もまた、スッキリとは解決しない。
この映画は、その不条理を「消化不良」という形で突きつけてくる。
三人のオスカー俳優の演技はどれも見事だが、特にデンゼル・ワシントンの静かな重みは印象的だ。
明確な答えを求める人には向かない。
曖昧さや余韻を楽しめる人には、深く刺さる作品だと思う。



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