愕然とした。
親も、加害者も、そして社会も。
彼らは気付けない。
そして、反省しない。
だから、変われない。
物語として、救いはない。
けれど、それが実際の事件に着想を得て創作されたと知ったとき、
その事実のほうが、よほど絶望的だった。
高偏差値って何だろう。
多くの人が嫌う勉強を努力できる力。
人が嫌なことに取り組むことができる力。
それは確かに一つの能力だと思う。
でも、それは他者を思いやる力と必ずしも比例しない。
偏差値は結局、何を測っているのか。
同じ時間で、
同じ正解を出せる力。
それ以上でも、それ以下でもないのかもしれない。
※ページを捲るたび、あなたの「当たり前」が音を立てて崩れるかもしれません。
なら当然、
偏差値が高いからといって、
人としての成熟度が高いとは言えない。
そして厄介なことは、
勉強ができる人ほど論理化や言語化が巧みだということ。
無自覚な加害でさえ、
整った理屈で、周りをも巻き込んで正当化できてしまう。
その言葉は、時に刃物よりも鋭い。
物語は、東京生まれ東京育ちの東大生・つばさと、
横浜郊外出身の私立女子大生・美咲、
それぞれの成長過程から描かれていく。
エリートとして育ってきたつばさ。
家族思いで、ごく普通の生活を送ってきた美咲。
別々に積み重ねられてきた二人の人生が交差する。
その延長線上で起きるのが、
つばさを含む東大生のヤリサーメンバー5人による暴行事件だ。
そして、示談。
裁判。
事件をめぐる周囲の反応。
美咲はやがて、東大生を狙った軽い女だと決めつけられ、
無関係の人々からも叩かれていく。
終始、彼らも、その親たちも、
被害者に思いやりを向けることは一切ない。
加害者の親の中には娘を持つ親もいるのに……。
SNS上の反応も含め、
読んでいるこちらの胸が締め付けられた。
辛く、やるせなかった。
だけど、私もどこかで、
学歴や社会的立場で人を測り、安心していなかっただろうか。
「頭が悪い」という言葉を、
無意識に使っていなかっただろうか。
頭が悪いのは誰なのか。
彼女でも、彼らでもない。
私の想像力の限界なのかもしれない。
息子も娘も持つ親として、ただただ愕然とした。
子どもたちはまだ小さい。
けれど、いつか社会に出る。
被害者になってほしくない。
加害者にもなってほしくない。
そして、無責任に批判する側にもなってほしくない。
では、私は何を伝えればいいのか。
どうすれば、人を傷つけない想像力を持たせられるのか。
機械的に正解を出す力よりも、立ち止まり考える力を。
せめて、目の前の人の痛みを想像できる人に育てたい。
私自身もそういう人でありたい。
答えは簡単には出ない。
それでも、この責任から逃げてはいけないのだと思う。
この感覚が、ずっと心から離れない。
大人として、この物語を「ただのフィクション」で終わらせてはいけない。
次の世代が生きる未来のためにも、一度は向き合うべき一冊です。


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