「私の盲端」感想|私の盲点。

読書感想

「私の盲端」感想|オストメイトと多目的トイレが突きつける私の盲点

私は「知っているつもり」だった。

人工肛門。
オストメイト。
多目的トイレ。

言葉は知っている。ニュースや表示で目にしたこともある。
でも、それが具体的に何を意味するのか、
真剣に考えたことはなかった。

「誰でも障害を抱える可能性があるのだから、
社会全体で支え合わなければならない。」

そんな耳障りの良い言葉は誰でも簡単に言える。
でも、自分事として真剣に考えてはいなかった。
どこかで自分には無関係のことだと、思っていたのかもしれない。

読んでいるあいだ、私は自分の偽善と向き合わされ続けた。

ストーマと身体の変化を描く「私の盲端」

著者が現役の消化器内科医であり、医療者としての視線も加わっているからか。
ストーマがもたらす身体的・心理的・環境的影響の描写は非常に具体的。
本作は、女子大生・涼子が突然の病気によりストーマを造設し、自身の身体と向き合っていく物語。

大学生活を楽しんでいた日常が一変。当初は期限付きのはずだったそれが永久的なものとなる。
彼女は否応なく「変わった身体」とともに生きていくことになる。

パウチの重みは生きている重み。
内臓を忘れて生きていくことなんてできないけれど、
内臓を抱えて生きる大変さに気付くことなく生きていきたかった。

——「知らない」という壁の向こう側にある、命の記録。

自身の盲点に気づく

読んでいて何度も立ち止まった。
たとえば多目的トイレ。
あの微妙な高さにある洗い場。斜めに傾いた鏡。
ノズルが付いて伸びるシャワー。
それらが何のためにあるのか、どうしてそういう形状なのか、
私は知らなかった。
知ろうともしなかった。

人の身体の仕組みは不思議で奇跡みたいなもの。
そのありがたみは、失くして初めて気付く。

ページ数は決して多くないのに、読み終えたあとの重量はずしりと重い。
しばらく呆然としてしまう。
知っているつもりでいた。
知らなかったことを、知ろうとしないままでいた。
無知な自分と向き合うことは、情けなくて辛いことだった。

併録作「塩の道」から学ぶ死生観

「塩の道」は、僻地医療と看取りを描く。

苦痛に耐えながらも自然に死を迎える人々。
それを静かに見守る家族。
医療がすべてを解決できるわけではない現実。

都会と僻地では、死生観はこんなにも違うのか。
医療の理想と現実のあいだで、何が最善なのか。
ここにも明確な正解はない。

これは生を描いているのか、それとも死を描いているのか。
「生きる」と「死ぬ」。
逆のようでいて、実は同じことなのかもしれない。

出口のない行き止まりの盲端。死に向かって生きていく人生。

生と死は特別な出来事ではなく、
生活の延長線上にある営みなのだという事実だけが、
それぞれの感情を排して、ただ淡々と示される。

自身の盲点と向き合う

正解のない問題。
「知らなかった」で済ませてきたものに、私はこれからどう向き合うのか。

厳選された少ない言葉で的確に、大きな問いを投げかけられたような。
ずっしりと重い。だけど考えずにはいられない。


「知っているつもり」の壁を壊してくれる一冊です。自分の身体や社会の仕組みを見つめ直したい時に、ぜひ手に取ってみてください。

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