『羆嵐』読書感想|三毛別羆事件が描く「羆より怖いもの」

読書感想

吉村昭さんの小説『羆嵐』は、
1915年に北海道で起きた三毛別羆事件をもとにした実録小説です。

羆が怖い。

まして、日本獣害史上最悪の事件
と言われる三毛別羆事件が題材の物語だ。

そう思って読み始めた。

けれど読み終えたとき、
私の中に残っていた恐怖は、
羆だけではなかった。

北海道の開拓地で
実際に起きた惨劇を描いたこの小説は、
ページ数こそ多くないのに、
終始、極度の緊張に包まれていた。

読み終えたあと、
いろいろと思うところ、
考えるところがあり、
しばらく呆然とした。

この記事では、小説『羆嵐』の感想と、
この作品が描く「羆より怖いもの」について書いています。

『羆嵐』とは

『羆嵐』は、
作家・吉村昭さんによるノンフィクション的な小説。

1915年に北海道で実際に起きた
三毛別羆事件をもとに書かれている。

この事件は、日本の獣害史上 最悪といわれる被害を出した出来事として知られている。

開拓民たちの集落を襲った羆。
貧しい開拓地で、武器も少なく、
人々は恐怖と混乱の中で戦うことになる。

『羆嵐』
著者
吉村昭
出版 / 公開
1982年(新潮文庫)
頁数
245ページ(一気に読めるボリューム)
ジャンル
ドキュメンタリー小説 / パニック
読後感
静かな絶望 / しばらく呆然とする
キーワード
三毛別羆事件 / 極限状態の心理 / 銀爺
羆嵐 新潮文庫

吉村昭『羆嵐』(新潮文庫)

あらすじ

北海道の開拓地・三毛別。
厳しい自然の中で暮らす人々の集落に、
一頭の巨大な羆が現れる。

最初は農作物や家畜の被害だけだった。
しかしやがて、人が襲われ始める。

男たちは銃を手に対抗しようとするが、
武器も経験も十分とは言えない。

羆は執拗に集落を襲い続ける。

読んでいて震えた描写

この作品は派手な表現が多いわけではない。
むしろ言葉はとても少ない。

それでも、いくつかの場面は強烈に印象に残った。

たとえば、羆が女性の肉を求めている描写。
被害者のうち女性だけが原型を留めないくらいに喰われている。
村に獲物が見当たらないと、
女物の腰巻きや湯たんぽを執拗に損壊する。

そしてもう一つ。
羆を仕留めて解体したとき、
胃の中から脚絆と髪の毛の束が出てくる場面。

頭ではわかっていたことが、
その瞬間、現実として突きつけられる。

人が喰われていた。

本州の「熊」と北海道の「羆」は別の恐怖

本州で「熊」と聞いて思い浮かべるのは、 ツキノワグマだと思う。

頭の先からお尻までの長さ(頭胴長)。
動物の体の大きさを表すときに使われる基準だ。
110〜130cmほど。体重は50〜80kg。

雑食性で、主食は木の実や新芽などの植物だ。

けれど北海道に生息するのはヒグマである。

頭胴長は200〜230cm。 体重は150〜250kg。

体格も力もまったく別物で、
食性はそれぞれの季節、それぞれの場所で利用できる食物に柔軟に対応しているので、
人間を捕食対象として襲うこともある。

日本最大の陸上動物だ。

四足で立っているだけで、
頭胴長はすでに人間の身長を超えている。

それが、立ち上がれば──

人間など、簡単に見下ろされる。

目の前に現れるのは、
巨大な壁のような生き物だ。

しかもそれは時速40〜50kmで走る。

逃げることは、ほぼ不可能だ。

『羆嵐』に描かれている恐怖は、 私たちが想像する「熊」とは まったく別の次元のものなのだと思う。

恐怖が生む混乱

印象的だったのは、羆が現れていない場面の恐怖だ。

銃を持った男たちが小屋に集まっている。
みな、極力外に出ずに薪を取り込んで燃やしているうち、
外に積んだ薪の山がバランスを崩し大きな音を立てて崩れる。

その瞬間、
羆が来たのではないかと恐れ、
小屋の中は大混乱になる。

実際には羆は現れていない。
声すらしていない。

それでも恐怖は人を壊してしまう。
大声で叫び声をあげ、
てんで散り散りに逃げ惑い、恐怖心から仲間に攻撃する者も。

銀爺さんという存在

物語の終盤、極限状態の中で、
待ち望まれていた一人の猟師が現れる。

銀爺さんだ。

「やっと来た!」

羆を知り尽くした腕利きの猟師として、
人々は彼に希望を託す。

この人ならどうにかしてくれる。

読んでいるこちらまで、そんな期待を抱かずにはいられなかった。


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実際、羆はたった二発の銃弾で仕留められる。

現実では、討伐隊(警察・住民・陸軍)の一斉射撃で傷を負わせるも逃亡。
翌朝に足跡と血痕を追って山へ分け入る討伐隊と別に、
銀爺さんのモデルとなった猟師・山本兵吉さんが山を登り、
討伐隊よりも先に羆に接し、心臓付近と頭部に発砲して仕留めている。

けれど印象に残ったのは、
銀爺さんの腕前ではなかった。

もちろん、冷静沈着。
頼れる老練な猟師で、巨大で狡猾な羆にも
怯むことなく向き合う。

だけど、羆の存在を認識したとき、
対峙したとき、屠ったとき。
彼の顔は血の気がなく蒼白だった。

どんな達人でも、
当然羆は恐ろしい。

銀爺さんもまた、
同じ人間だった。

三毛別羆(さんけべつひぐま)事件とは

1915年(大正4年)、北海道苫前村三毛別の六線沢 (現在の苫前町三渓)で起きた獣害事件。

開拓民の集落が体長2.7m、体重340kgともいわれる巨大な羆に襲われ、 胎児を含む7人が死亡、3人が重傷を負った。

日本の獣害史上、最悪の被害を出した事件として知られている。

羆より怖いもの

私たちはつい、
「あの人なら大丈夫」と
誰かを頼ってしまう。

けれどその人だって、
恐怖を感じないわけではない。

それでも銀爺さんは
その恐怖に打ち勝ち、羆を追い詰めた。

だからこそ、
たった二発の銃弾で仕留めることができたのだと思う。

その苦闘の重さを、
私が本当に理解することはできない。

ただ、この本を読み終えたとき、
羆より怖いものが
少しだけ見えた気がした。

それは羆ではなく、
恐怖の中で揺らぐ人間の心だった。

極限の恐怖は、
人を壊してしまう。

だけど、
それを克服できる気は、正直しない。

『羆嵐』は、羆の恐怖だけでなく、 三毛別羆事件という実際の出来事が持つ重さを 静かに伝えてくる物語でもあった。

まとめ

『羆嵐』は、
羆の恐怖を描いた小説でありながら、
同時に「人間の恐怖」を描いた物語でもある。

ページ数は多くない。
それでも読み終えたあと、
厳しい自然とともに何かが
静かに、そして重く、胸に残る一冊だった。

こんな人におすすめの一冊

  • 実際に起きた事件をもとにした作品が好きな人
  • 短いけれど強烈な読書体験をしたい人
  • 人間の恐怖や心理を描いた作品に興味がある人

「三毛別羆事件」という実話の重み。
ページをめくる手が止まらなくなる、極限の緊張感をぜひ体験してください。

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