違和感と先入観
連続猟奇殺人鬼・蒲生稔。
専業主婦の蒲生雅子。
元刑事の樋口。
冒頭で蒲生稔が逮捕される。
三人それぞれの視点で語られ、
ばらばらだった時間軸が少しずつ近づいていく。
叙述トリックの名作。
鮮やかなどんでん返し。
前評判は十分すぎるほど知っていた。
それでも、私は見事にはまった。
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小さな違和感は、いくつもあった。
「稔さん、大学はどうしたの?」
休講を“する”のは学生?
鍵はかけているのか、いないのか。
庭に埋められたはずの袋が、息子の部屋にある。
大学生がオジン?
休講を“する”のは学生?
鍵はかけているのか、いないのか。
庭に埋められたはずの袋が、息子の部屋にある。
大学生がオジン?
違和感は、散らばっていた。
でも私は、それを深く考えなかった。
“きっとこういうことなんだろう”と、
自分を納得させて読み進めた。
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再読してわかった。
伏線は完璧だった。
文章は一度も嘘をついていない。
それなのに、私の頭の中では、
蒲生稔=大学生
蒲生雅子=稔の母親
蒲生家=四人家族
と、勝手に確定していた。
そんな説明は一切なかったのに。
私は、自分で物語を作っていた。
※ページを捲る手を止める「違和感」を、決して見逃さないでください。
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終盤、ホテル前。
雅子が死体を確認し、
樋口が「息子さん?」と問う。
雅子が肯定する。
その瞬間、確実な違和感が走った。
稔は逃げているはず。
なのに、息子?
でも、私は戻らなかった。
そのまま読み進めてしまった。
そして、ようやく気づいた。
落ちていたのは、私の認知だった。
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グロテスクな猟奇殺人よりも怖かったのは、
自分の思い込みだった。
相手の言葉を、
都合よく解釈していないか。
立場や属性で、
先に判断していないか。
違和感を、
なかったことにしていないか。
自信が、信じられなくなる。
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私はまた騙されるだろう。
きっと、これからも。
それでも、自分の違和感を無視したくない。
自分の「認知」、どこまで信じられますか?叙述トリックの最高傑作をその目で確かめてください。
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