宮部みゆき『クロスファイア』感想&考察|「炎で悪を裁く女」が問いかける、正義の輪郭

読書感想

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この小説を読む前に

宮部みゆきさんといえば、『火車』や『模倣犯』のような社会派ミステリを思い浮かべる人が多いかもしれない。 しかし『クロスファイア』は、同じ宮部作品でありながらかなり毛色が違う。

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解説には宮部さんのインタビューが一部掲載されていて、 「次(クロスファイア)はもうドッカン、ドッカンよ」 という言葉が紹介されている。この一言には妙に納得してしまった。

そう、この小説はまさに宮部みゆきが「ドッカン、ドッカン」と言いながら書いたような作品だ。 超能力アクション、サスペンス、組織との対立、そして倫理的な問い。 上下巻合わせて約800ページという長さを感じさせないほど、濃密な物語が詰め込まれている。

『クロスファイア(上)・(下)』
著者
宮部みゆき
出版
光文社・単行本1998年/文庫本2011年
頁数
416ページ・392ページ
ジャンル
超能力サスペンス / 社会派ミステリー
テーマ
正義とは何か / 力を持つ者の責任 / 私刑と法
余韻
考えさせられる / 緊張感 / 余韻が残る
キーワード
正義 / 炎 / 超能力 / 私刑 / ガーディアン / 善悪
こんな人におすすめ!
  • 「正義」と「復讐」の境界について考えてみたい人
  • 力を持つ者が人を裁くことの是非を問い直したい人
  • 読後に「自分ならどうするか」を考えさせられる小説が好きな人

あらすじ

25歳の青木淳子は、念じるだけで物を燃やす能力を持っている。 彼女はその力を使い、証拠不十分や法の抜け穴を利用して生き延びる凶悪犯たちを密かに処刑していた。

一方、警視庁の女性刑事石津ちか子は、不可解な放火殺人事件を追うなかで、「人間の仕業では説明できない何か」の存在に気づき始める。

本作は、淳子とちか子という二人の視点を軸に物語が進む。 さらに後半では秘密組織「ガーディアン」が登場し、物語は一気にスケールを広げていく。

読む順番のおすすめ

本作は短編集『鳩笛草』収録の「燔祭」の続編。 「燔祭」を先に読んでおくと、青木淳子という人物への理解がより深まり、終盤の展開もいっそう印象深く感じられる。

「炎で悪を裁く」痛快さと危うさ

最初に感じるのは、爽快感だ。

証拠不十分で釈放された性犯罪者、法をすり抜ける殺人犯。 そうした人間たちが淳子の炎に焼かれていく場面には、「当然の報いだ」という感情を抱いてしまう。

現実でも、残酷な事件のニュースを見て 「どうしてこんな人間が生きているのか」 「被害者だけが苦しみ続けるのはおかしい」 と思ったことのある人は少なくないだろう。

淳子は、 私たちが胸の奥に抱く怒りを、炎という形で代弁する存在 なのだ。

しかし読み進めるほど、その爽快感は少しずつ揺らぎ始める。

青木淳子が求める「正義」は、彼女自身の存在意義と深く結びついている。 彼女に裁く権利はない。 しかし、裁く理由がある。 それは皮肉にも、彼女が生まれてきた意味を自ら証明しようとする行為でもあるからだ。

淳子が悪人を処刑するのは、純粋に正義のためだけではない。 自分の能力の存在意義を確かめるためでもある。 その複雑な動機が、この作品を単純な勧善懲悪から遠ざけている。

「自らを装填された銃」という自己認識

淳子が自分自身を 「装填された銃」 と表現する場面がある。 私はここが、この小説の核心だと思った。

銃は、自分では善悪を判断しない。向ける先を決め、引き金を引くのは人間だ。しかし銃は、「引き金を引かれるため」に存在する。淳子は、自分をそのような存在として捉えている。

正義を遂行するために生まれた存在。 だからこそ、自分の能力を使わずにはいられない。

けれど、この考え方は超能力者だけのものではないのかもしれない。 権力、財力、地位。 人を従わせるだけの力を持つ者なら、多かれ少なかれ同じ誘惑を抱えているのではないか。

そこに見えるのは、 「力を持つ者が他者を裁く」という人間の傲慢さ だ。

淳子の能力は極端な形をしている。 しかし、「力を持つ者が力によって物事を決める」という構図そのものは、現実社会にも数え切れないほど存在している。 だからこの物語は、超能力小説でありながら、不思議なほど現実味を帯びて感じられるのだ。

石津ちか子という「正常な視点」

女性刑事・石津ちか子。 彼女は言うなれば、読者に最も近い視点を担う存在と言える。

淳子が「炎で悪を裁く特別な存在」なら、ちか子は「普通に働き、普通に悩み、普通に正義を信じようとする人」だ。 超能力もなく、特別な権限もない。 それでも誠実に事件と向き合い、自分にできることを積み重ねていく。

彼女は、 「善良である」ということの美徳 を体現している。

善良さとは、決して派手ではない。 地に足がつき、少し汗臭く、それでも前へ進もうとする人間だけが持つ強さだと思う。

石津ちか子には、その静かな強さがある。 だからこそ彼女は、超能力者である淳子とは対照的な存在として強く印象に残る。

「特別ではない。でも誠実である。」 ちか子のその姿があるからこそ、淳子の炎はより危うく、美しく見える。

ちか子の視点を通すことで読者は、 「淳子に共感しながらも、その正義を肯定しきれない」 という複雑な立場に置かれる。 この宙吊りの感覚こそ、本作が単なる勧善懲悪で終わらない理由なのだと思う。

「正義」とは何か

守護神(ガーディアン)も、青木淳子も、 絶対的な「正義」ではない。

では悪なのかと言われれば、それも違う。

正義とは、見る立場が変われば簡単に姿を変えてしまうものだからだ。

宮部みゆき初期作品として

「荒唐無稽な設定でも、現実として信じさせる。」

これこそが宮部みゆきという作家の大きな魅力だと思う。

炎を操る女性という非現実的な設定でありながら、人間の感情や社会の矛盾にしっかり根を下ろしている。 だから読者は超能力小説ではなく、「現実の延長線上にある物語」として受け止めることができる。

法では裁けない悪。 力を持つことの孤独と傲慢。 そして、 「普通に生きる」ということの尊さ。

1998年に書かれた作品でありながら、そこに描かれる問いは少しも古びていない。 だからこそ、『クロスファイア』は今なお読み継がれているのだろう。

まとめ

『クロスファイア』は、「炎で悪人を裁く超能力者」の物語では終わらない。

本当に描かれているのは、 「人は、何を根拠に正義を名乗るのか」 という問いだ。

力を持つ者は、その力を使う資格があるのか。 法では裁けない悪を、誰が裁くべきなのか。 そして、自分なら淳子を止めるのか、それとも支持するのか。

読み終えたあとも、その答えは簡単には出ない。 だからこそ、この作品は長く心に残る。

正義は、炎のようにはっきりと燃え上がるものではない。

人によって形を変え、ときには揺らぎ続ける。 『クロスファイア』は、その曖昧な輪郭を真正面から描いた物語だった。

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