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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には映画『The Witch/魔女』の核心に触れるネタバレが含まれています。
未鑑賞の方はご注意ください。
見終えた後、もう一度冒頭のシーンが頭の中でリプレイされた。
「あの表情は何だったのか」「あの台詞の意味は」
全部ひっくり返って見えた。
どんでん返しの映画は数あれど、この映画のそれは「驚いた」より先に「怖い」が来る。
ジャユンが怖いのではない。
ずっと騙されていたのに、それに気づけなかった自分が怖い。
- 「騙された!」と叫びたくなる映画が好きな人
- 伏線が後から全部つながる作品に快感を覚える人
- 主人公を信じていた自分ごとひっくり返されたい人
- 善悪では割り切れない危ういキャラクターが好きな人
- 一度観ただけでは終わらない映画を探している人
あらすじ
ある施設から脱走した女の子が、夫婦が営む牧場で意識を失う。
韓国の片田舎で、酪農家の養父母と静かに暮らす女子高生・ク・ジャユン(キム・ダミ)。
8歳のときに記憶をなくした状態で発見され、養父母に育てられてきた。
成績優秀で、友人思い。養母の認知症や苦しい家計のために、賞金目当てでオーディション番組への出場を決める。
しかしその出演がきっかけで、謎の組織の目に留まる。
黒服の男たちが周囲に現れ始め、親友が巻き込まれ、養父母が危険にさらされる。
ジャユンは「自分が何者なのか」を知らないまま、ただ大切な人たちを守ろうとして戦い始める。
前半はそういう物語に見える。
前半と後半の温度差
この映画を最初に観た人の多くが「前半が長くて退屈だった」と感じるらしい。
田舎の女子高生の日常、友人との他愛もない会話、オーディション番組のほのぼのとしたシーン。
しかし、この退屈さこそが監督の狙いだった。
パク・フンジョン監督は前半を「普通の少女の物語」だと観客に信じ込ませるための時間として使っている。
感情移入させ、「ジャユンを守ってほしい」という気持ちを育てる。
そして後半、その前提を根こそぎ破壊する。
前半のほのぼのさは欠点ではない。
どんでん返しのために仕込まれた火薬だった。
⚠️ ここから先は『The Witch/魔女』の核心に触れます。
前半のジャユンを思い出しながら読み進めてほしい。
なぜなら、これ以降は彼女の見え方がまったく変わるからだ。
The Witch/魔女 ジャユンの正体
この映画最大の反転はここにある。
ジャユンは記憶を失っていなかった。
幼少期から生き延びるために計算し続けていた。
「子供を亡くし韓国へ戻った夫婦」を養父母として選んだのも計算。
自分を見捨てない人間を見極めたうえで近づいた。
そして10年以上にわたり、「普通の女子高生」を演じ続けていた。
オーディション番組への出演も偶然ではない。
自分の能力を意図的に晒し、ドクター・パクに自分を見つけさせるためだった。
追われたのではない。
追わせたのだ。
囚われたのではない。
囚われに行った。
すべては鎮静剤を手に入れるための計画だった。
「記憶喪失の少女」という仮面の恐ろしさ
視聴者が「ジャユンは記憶喪失だ」と信じたのは、彼女が完璧に演じていたからだ。
養父母への愛情。
親友ミョンヒとの何気ない会話。
オーディション後の戸惑った表情。
すべてが自然だった。
だからこそ真相を知った後、観客は疑い始める。
あれは本当に素の表情だったのか。
それとも演技だったのか。
この疑念は映画が終わってからも消えない。
そしてその疑念こそが、この映画の恐怖の正体なのだ。
養父母への愛情は本物だったのか
真相が明かされた後、最も気になるのはこの問いかもしれない。
ジャユンは本当に家族を愛していたのか。
家族や友人への愛は真実であってほしい。
しかし、映画は明確な答えを与えない。
だからこそ解釈が分かれる。
- 愛情は本物だった説
計算で選んだ家族だったとしても、10年以上一緒に暮らす中で本物の感情が生まれた可能性はある。 - すべて計算だった説
超知性と冷酷な合理性を持つ存在にとって、愛情表現ですら戦略の一部だったと考える読み方。 - 判断不能説
映画が意図的に決定的な証拠を提示していないという見方。
どれを信じるかで、ジャユンという人物の見え方はまったく変わる。
そしてその判断できなさこそが、彼女を忘れがたいキャラクターにしている。
同じ顔なのに別人になる
本作がキム・ダミの実質的なデビュー作だというのは今でも驚きだ。
約1,500倍とも言われるオーディションを勝ち抜き、前半の「普通の女子高生」と後半の「完全体ジャユン」を同一人物として成立させた。
特に印象的なのは真相が明かされた後だ。
それまで可愛らしく見えていた表情が、同じ顔なのにまったく違って見える。
表情が変わっただけではない。
観客の認識も変わったのだ。
そこにこの映画ならではの恐怖がある。
二度目が本番の映画
初見では前半の退屈さと後半の爆発力のギャップに戸惑うかもしれない。
しかし真相を知った状態で観直すと、前半のすべてが別の意味を持ち始める。
ジャユンの言葉も。
表情も。
沈黙さえも。
すべて「演技だった可能性」が見えてくる。
だからこの映画は二度目が本番。
韓国映画らしい強烈などんでん返しを持ちながら、その本質はアクションではない。
観客の認識そのものを騙すこと。
そこにある。
そして二度目を観たとき、きっと誰もが同じ疑問に行き着く。
彼女の笑顔を、もう一度信じられるだろうか。



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