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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には映画『イット・フォローズ』の核心とラストに触れるネタバレが含まれています。
未鑑賞の方はご注意ください。
ホラー映画の恐怖といえば、突然現れる幽霊や、猛スピードで追いかけてくる怪物を思い浮かべる。
しかし、『IT FOLLOWS(イット・フォローズ)』の怪異は違う。
ゆっくりと、歩いてくる。
走るわけでもなく、叫ぶわけでもない。ただ、こちらに向かって歩いてくる。 そして、どれだけ逃げても、決して諦めない。
自分にしか見えないものが、ゆっくりと、でも確実に近づいてくる。 その設定が、観ているうちにじわじわと精神を追い詰めてくる。
本作の恐怖は、怪異そのものの不気味さだけではない。 逃げ続けなければならない絶望感。そして、自分が助かるために、誰かを犠牲にしてしまうかもしれないという人間のエゴ。 その両方が、この映画をただのホラーでは終わらせていないように思う。
『イット・フォローズ』の作品情報
- 突然驚かせる恐怖より、じわじわと精神を追い詰めるホラーが好きな人
- 感染の連鎖や人間のエゴを、暗喩として読み解きたい人
- 観終わったあとも、ラストの意味について考え続けたい人
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信頼していた相手から押しつけられる恐怖
主人公のジェイは、恋人のヒューと初めて肉体関係を持つ。 その直後、ヒューから告げられたのは、信じがたい事実だった。
自分にしか見えない「何か」が、執拗に追いかけてくる。 そしてそれは、性行為によって誰かに移すことができる。
ヒューはジェイを車椅子に縛りつけ、近づいてくる怪異を見せつける。 自分が助かるために、ジェイへ怪異を移したのだ。
……いや、ちょっと待ってほしい。
そもそも、行きずりの相手と関係を持って怪異をもらってきたのはヒューだ。 その結果、自分に降りかかった危険を、信頼してくれている恋人に押しつける。
しかも、ヒューの言い分がまたひどい。
「おまえが死んだら俺に戻ってくるから、逃げきれよ」
「誰かに移せばいい。お前なら移せる」
いやいやいや。 自分が助かれば、あとは相手の責任なのだろうか。
ジェイがどれほど怖い思いをするのか。誰かに移すことに、どれほどの抵抗を感じるのか。 そんなことは、ヒューにとってどうでもいいのだろう。 自分さえ助かればいい。
この身勝手さには、怪異以上に腹が立った。
ただ、ヒューの行動は、物語を動かすためだけのものではない。 本作では、怪異を誰かに移せば、自分が助かる可能性が生まれる。 その仕組みがあるからこそ、登場人物たちは究極の選択を迫られる。
自分が生き延びるために、誰かを犠牲にするのか。 それとも、自分が犠牲になる可能性を受け入れるのか。
ヒューは、迷わず前者を選んだ。 では、自分だったらどうするだろう。
「不幸の手紙」のように続いていく呪い
この映画を観ながら、私は昔の「不幸の手紙」や「チェーンメール」を思い出していた。
何人かに送らなければ、不幸になる。 そんな脅し文句とともに、次の誰かへ不幸を押しつけていく仕組みだ。
ところが、『イット・フォローズ』の怪異は、そんなに簡単な話ではない。 誰かに移さなければ、自分の命が危険にさらされる。 ここが決定的に違う。
現実の不幸の手紙なら、無視すればいい。破り捨てたところで、命を奪われるわけではない。 けれどこの映画では、自分のところで止めることが、そのまま自分の死につながるという。
もし自分がジェイの立場だったら、最後まで止められるだろうか。 死ぬかもしれない状況で、それでも「他人を犠牲にしない」と言い切れるだろうか。
考えれば考えるほど、自信がなくなる。 そんな自分を想像することさえ、嫌になる。
でも、だからこそ、この設定は怖いと思う。
安全な場所からなら、いくらでも正しいことが言える。 しかし、自分の命がかかっていたら? 追い詰められていたら? それでも、自分の信念を貫けるのだろうか。 本作は、そんな問いを突きつけてくる。
性感染症の暗喩か、死の暗喩か
怪異が性行為をきっかけに移り、感染した人間を追い続ける。 この設定から、本作を性感染症の暗喩として読むこともできる。
感染したことは、本人にとって切実な問題だ。 しかし、周囲にはその苦しみが見えない。 そして、自分が助かるために誰かへ移せば、今度はその人が危険にさらされる。 感染が連鎖していく構造は、現実の感染症を連想させる。
一方で、怪異を「死」そのものとして読むこともできると思う。 どれだけ逃げても、ゆっくりと、確実に近づいてくる。一時的に遠ざけることはできても、完全に逃れることはできない。 それは、誰もがいつかは向き合わなければならない死の姿にも重なる。
もちろん、本作の怪異を一つの意味だけに結びつける必要はない。 むしろ、感染症や死という読み方を入口にして、人間のエゴや孤独、責任の押しつけ合いにまで考えを広げられるところが面白い。
ヒューは、自分が助かるためにジェイを犠牲にした。 ジェイもまた、生き延びるために、同意の上とはいえ友人のグレッグへ怪異を移すことを選ぶ。 しかし、グレッグは死んでしまう。
誰かに移せば助かる。 そのはずなのに、次の人が助かる保証はどこにもない。
自分の苦しみを誰かに引き受けてもらうことは、本当に解決なのだろうか。 それとも、ただ自分の目の前から苦しみを遠ざけただけなのだろうか。
自分にしか見えない恐怖
本作でもうひとつ印象に残ったのは、怪異がこれまでに感染した人にしか見えないという設定だ。
冒頭の少女は、心配する周囲の声を振り切り、一人で逃げていく。 初めて観たときは、なぜ誰にも助けを求めないのだろうと不思議に思った。
けれど、怪異のルールがわかると、その行動の意味がまったく変わる。 彼女には見えている。でも、周りの人には見えていない。 命に関わる危険が迫っているのに、ほかの人には何も起きていないようにしか見えないのだ。
助けを求めても、何から逃げているのかを理解してもらえない。 自分だけが、恐怖の存在を知っている。 この孤独は、想像するだけでもつらい。
しかも、怪異は幻覚ではない。 他人の目には見えないのに、実体があり、人を殴ったり、何メートルも吹き飛ばしたりする力を持っている。 そのくせ、扉を簡単には破れなかったりもする。 霊なのか何なのかもはっきりしない。その規則性のなさが、それはそれで怖かった。
見えないからといって、存在しないわけではない。
この設定は、人と人との間にある認識のずれについても考えさせられる。 自分にとっては切実な問題でも、他人にはその深刻さが伝わらないことがある。 見えないものを、見えている人と同じように理解するのは難しい。
もちろん、映画の怪異と現実の人間関係をそのまま重ねることはできない。 それでも、「誰にもわかってもらえない恐怖」という点では、胸に迫るものがあった。
ゆっくり、でも確実に迫ってくる
本作の恐怖を決定的なものにしているのは、怪異の歩く速さだと思う。
走って追いかけてくるわけでも、大きな音を立てて襲ってくるわけでもない。 ただ、ゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる。
今はまだ遠くにいる。だから、少しだけ安心できる。 でも、確実に近づいてくる。 どれだけ距離を取っても、ふと振り返れば、また姿を見つけてしまうかもしれない。
しかも、怪異は毎回同じ姿で現れるとは限らない。 見知らぬ人の姿のこともあれば、よく知っている人の姿のこともある。 遠くに人影が見えただけで、疑心暗鬼になってしまう。 ただ歩いているだけの人が、自分を追いかけてきているのかもしれない。でも、それを確かめる術もない。
この映画の恐怖は、襲われる瞬間だけにあるのではない。 むしろ、襲われていない時間にこそ、恐怖が染み込んでくる。
友達と過ごしているときも、家でくつろいでいるときも、眠っているときでさえ、完全には安心できない。 逃げることはできても、安心して生きることはできない。
今すぐ襲われるわけではない。 けれど、いつか必ず追いつかれるかもしれない。 その時間を、ただ耐え続けなければならない。
そして、たとえ誰かに移したとしても、その人が死ねばまた自分に戻ってくる。常に安心することはできない。
考えれば考えるほど、嫌な設定だ。
怪異を倒しても、終わったとは限らない
ジェイたちは、プールで怪異を迎え撃ち、撃退する。 その後、ジェイと幼なじみのポールは結ばれる。 ようやく恐怖から解放された――ように見える。
しかしラストでは、手をつないで歩く二人の後ろを、一つの人影が歩いている。
私は思わず巻き戻して、もう一度確認してしまった。 「えっ、まだいるの?」
あの人影が怪異なのかどうか、映画は明確な答えを示してはくれない。 だからこそ、不安が残る。
本当に倒せたのか。 まだ追いかけてきているのか。 それとも、私たちが「終わった」と思いたいだけなのか。
感染の連鎖という視点から考えると、このラストはさらに不穏だ。 一人から次の人へ。その人から、また次の人へ。 自分のところで終わったと思っても、本当に終わったとは限らない。 まるで、いつまでも回り続ける不幸の手紙のように。
それでも、自分のところで止められるか
『イット・フォローズ』は、怪異に追われる恐怖を描いたホラー映画だ。 しかし、観終わったあとに残ったのは、単純な恐怖だけではなかった。
自分が助かるためなら、誰かを犠牲にしてもいいのか。 自分にしか見えない恐怖を、誰にも理解してもらえなかったらどうするのか。
もし、止めることが自分の死につながるとしたら。 もし、誰かに移せば、自分だけは助かるとしたら。 それでも、自分のところで止められるだろうか。
答えは、簡単には出せない。 だからこそ、この映画は怖いのだと思う。
そして、ラストの人影を思い出す。 走ってはいない。急いでもいない。 ただ、確実に近づいてくる。
あの人影は、本当に怪異だったのだろうか。 それとも、私たちが最後まで目をそらせない、恐怖そのものだったのだろうか。
映画の余韻をもう一度味わいたい方は、ぜひ手元にも。


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