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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には小説『インドラネット』の核心に触れるネタバレが含まれています。
未読の方はご注意ください。
読み始めてしばらくは、「これは桐野夏生さんらしくないなぁ」と思っていた。主人公が他責で情けなく、まったく共感できなかったからだ。世界に翻弄され、ただ騙され続ける。そんな展開が延々と続く。
ところが中盤あたりから、その「情けなさ」が少しずつ別の意味を帯びはじめ、ラストで「そうか、そういう話だったのか」という感覚が静かにやってきた。
読み終えて残ったのは、「あぁ。桐野夏生さん、やっぱり怖い」というシンプルな感想だった。
作品情報
- 「誰が敵で誰が味方か」わからない、先の読めない物語に浸りたい人
- 冴えない主人公に、つい自分を重ねてしまったことがある人
- 読み終えたあと、「愛」の意味を考え直したくなる小説を探している人
自己肯定感の低い青年が、カンボジアへ向かう
八目晃は25歳。非正規雇用で働き、ゲームだけが楽しみの冴えない毎日を送っている。自分には何の取り柄もないという強いコンプレックスを抱え、その裏返しのように、他人へ攻撃的な態度をとってしまう青年だ。
そんな晃の唯一の誇りは、高校時代の同級生・野々宮空知と、その美しい姉妹と親しくしていたこと。美貌とカリスマ性をあわせ持つ空知は、クラスで目立たない晃を、なぜか特別扱いしてくれる存在だった。
ある日、空知の父親が亡くなり、晃は葬儀に顔を出す。けれど、そこに空知と姉妹の姿はない。三人は東南アジアへ向かったまま、消息を絶っているという。葬儀で出会った男から「資金を出すので三人を捜してほしい」と頼まれた晃は、仕事を辞め、初めての海外となるカンボジアへ飛ぶ。
現地で晃を待っていたのは、次々と仕掛けられる詐欺と罠、誰を信じていいのかわからない人間関係の連鎖。そして、ポル・ポト政権下の虐殺の記憶が残る、カンボジアの複雑な現実だった。
主な登場人物
八目晃(やつめ・あきら)
主人公・語り手
自己肯定感が低く、言動には共感しにくい場面も多い「ダメダメな青年」。けれど、その弱さこそが物語の核心とつながっていく。
野々宮空知
捜される存在
高校時代の晃の親友。美貌とカリスマ性をあわせ持ち、晃がずっと憧れてきた人。カンボジアで何を見て、何を背負ったのか。その実像が少しずつ明かされていく。
橙子・藍
空知の姉妹
空知とともに消息を絶った美貌の姉妹。三きょうだいが抱えてきた過去が、物語の大きな鍵になる。
なぜ晃でなければならなかったのか
この小説でまず戸惑うのは、主人公・晃の共感しにくさだと思う。自己肯定感が低いのに攻撃的で、助けてもらってもすぐに疑う。英語もおぼつかないまま、異国でトラブルを重ねていく。「どうしてこんな人物を主人公にしたのだろう」という問いが、自然と浮かんでくる。
刊行時のインタビューで桐野夏生さんは、晃の言動には共感しづらくても、彼の「経験」にリアリティを感じてもらえなければ、読者は最後まで旅についてきてくれない、という趣旨を語っている。長距離バスで隣り合う人の汗、最初は硬かったホテルのベッドがだんだん体になじんでいく感覚。そうした生理的な手触りを大事に書いたそうだ。弱いところをたくさん持つ人物のほうが、人間の多面性を描けて書いていて楽しい、とも話している。
誰かと比べて自分が劣っていると感じ、その痛みを攻撃性でごまかしてしまう。インタビュアーはそれを「現代的な人物像」と表現していたけれど、たしかに、多かれ少なかれ誰の内側にもある感覚なのかもしれない。
そして、この「情けなさ」は物語の中できちんと機能している。晃が騙され続けるのは、外の世界の悪意だけが理由ではない。見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる。そんな人間の弱さが、彼を何度も罠へと導いていく。その視野の狭さがあるからこそ、終盤の反転がより深く響くのだと思う。
カンボジアという舞台
この物語の舞台がカンボジアであることには、大きな意味があるように感じる。1975年から79年にかけてのポル・ポト政権下では、当時の人口の4分の1近く、150万〜200万人ほどが命を落としたともいわれる。その「邪悪」の地層が、物語の背景に静かに流れている。
読んでいるあいだ、日本にいると見えにくい種類の暴力がむき出しになっている描写に、「自分が知っている世界は、なんて狭いのだろう」と何度も感じた。
刊行記念にはノンフィクション作家・高野秀行さんとの対談も組まれていて、そのタイトルは「世界はもっと邪悪だと思う」。虐殺の記憶が残る土地に観光客が訪れ、その上で現代の謀略が進んでいく。この重なりが、物語にただのサスペンスを超えた奥行きを与えているのだと思う。
騙し合いの連鎖
カンボジアで晃が出会う人の多くは、何らかのかたちで彼を利用しようとする。観光客を狙う詐欺師、謀略の駒として動く人々、信じかけた相手の裏切り。「次は誰が敵なのか」という緊張が、中盤の読書体験をずっと支配していた。
カンボジアではないが、私も海外で、日中にパスポートをすられそうになったり、大通りで突然抱きつかれたり、会計でぼったくられそうになったりと、日本では経験したことのない目に遭ったことがある。だからこそ、晃が次々と騙されていく場面は、情けないと思いながらも、どこか他人事とは思えなかった。
ただ、この騙し合いは、カンボジアという土地だけで成り立っているわけではない。そもそも晃を旅へ送り出した日本での依頼にも、すでに「見せない顔」があった。読み終えてから振り返ると、それがよく見えてくる。邪悪は異国にだけあるのではなく、日常のすぐそばにもある。そんな桐野さんのまなざしを感じた。
タイトル「インドラの網」の意味
インドラの網(帝釈天の網)は、古代インドの神インドラにまつわるイメージで、とくに華厳経の思想で知られている。宇宙を覆う網の結び目ひとつひとつに宝珠がついていて、それぞれが他のすべての宝珠を映し合う。あらゆる存在が互いを映し合い、つながり合っているという世界観だ。本作では、最終章のタイトルにもなっている。
映し合う宝珠という像は、晃と空知の関係にも重なって見える。自分の中に相手が映り、相手の中に自分が映る。ふたりの関係そのものが、この網の比喩なのかもしれない。
「ベターハーフ」という関係
刊行記念インタビューのタイトルは、「できあがったのは『究極の愛』の物語でした」。物語の途中までは、とても愛の話には見えない。カンボジアを舞台にした謀略と詐欺の話に見える。けれど、その言葉の意味は、終盤でじわじわと腑に落ちてくる。
インタビューでは、空知は晃にとっての「ベターハーフ」だと紹介されている。より良い半分、自分に欠けているものを持つ存在。晃が空知を捜し続けたのは、依頼があったからでも義理があったからでもなく、「空知なしでは自分が完結しない」という根っこの欠落感からだったのではないか。
- 何度裏切られても捜索をやめないのは、意地や正義感というより、「自分の欠けた部分を取り戻したい」という衝動に近いように見える。
- 一方で、完璧に見えた空知の側にも、埋められない欠落があったことが見えてくる。憧れられる側もまた、何かを抱えていたという反転がある。
- 晃の旅のすべてが、最後にひとつの結び目へとつながっていく。その構造は、まさに「インドラネット」という比喩そのものだと感じた。
「これも桐野夏生だった」という着地
『OUT』や『グロテスク』で日本社会の暗部をえぐってきた作家が、本作では舞台をカンボジアに移し、頼りない青年を語り手に据えている。それでも、人間の暗い側面を見つめるまなざしは少しも揺らいでいない。最初に感じた「桐野さんらしくない」という違和感は、読み終えるころには「これも桐野さんだった」という確信に変わっていた。その転換の瞬間こそ、この小説のいちばんの醍醐味だと思う。
まとめ
この小説を読んで、いちばんリアルに刺さったこと。それは、悪意を表に出さず、親切な隣人の顔をして近づいてくる人間こそがいちばん怖い、ということだった。カンボジアの物語でありながら、それは私たちの日常の話でもある。
晃は空知を捜していたようで、本当は自分自身の欠けた半身を捜していたのかもしれない。『インドラネット』は、カンボジアを舞台にした冒険小説であると同時に、「人はなぜ誰かを必要とするのか」を問い続ける、ひとつの愛の物語だったのだと思う。

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