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「わからない」まま帰り、それでも何かが残る展覧会だった。
「わからない」が続く展覧会だった。しかしその「わからない」が不快ではなく、むしろ心地よかった。
絵の前に立つと、何かを考え始めるより先に、ただ「佇んでいる自分」に気づく。
そのことが、タイトルにある「緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」という言葉と静かに共鳴しているような不思議な感覚だった。
中西夏之さんとはどんな人物だったか
中西夏之(1935〜2016)。2026年は没後ちょうど10年の節目にあたり、本展は初の本格的な回顧展だそう。
「ハイレッド・センター」1960年代初頭、赤瀬川原平、高松次郎とともに結成した前衛芸術グループで、2年ほどの短い活動期間だったが山手線事件や、首都圏清掃整理促進運動など、日常や公共の場に「直接行動」としてアートを持ち込んだ。
しかしその後の彼の軌跡は、多くの人が想像するものとは異なった。
直接的な活動から離れ、絵画へと回帰していった。その大きな変化の過程を、本展は丁寧に追いかけている。
展覧会タイトルについて
「緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」という言葉は、彼自身が絵画のありようを指して残したものだという。
絵画とは何かを見せるものではなく、見る行為を生み出す「装置」だという思想。
展示の構成
反芸術から絵画へ、半世紀の軌跡
地下3階の展示室に入ると、時代順に彼の仕事が並んでいる。その変容は、ひと言では言い表せないほど幅広い。
初期・1950年代後半〜
1958年(昭和33年)東京藝術大学美術学部絵画科(油画専攻)を卒業。 エナメルやペイントに砂を混ぜた、独自の質感を持つ絵画《韻》シリーズ。《洗濯バサミは撹拌行動を主張する》など、具象から出発しながら既存の枠組みへの違和感が滲む。絵画やオブジェ作品など。
1960年前半
ハイレッド・センター時代。ランダムに配置されたオブジェや立体作品。この時期の資料や記録物も展示されていた。
中期・1960年後半〜
「反芸術」活動、前衛舞踏家・土方巽との出会いを経て、再び本格的に「絵画」へと回帰した出発点となる、絵画空間の探究のすべての原点にあたる《山頂の石蹴り》シリーズ。
タイトルは、「何を描いたか」ではなく「描くときの意識」を表しているという。

(《山頂の石蹴り》シリーズ)
弓形の弧が交差する独自の「絵画理論」が結晶化し始める。1970年代末にはキャンバスを「無限に広がる巨大な円の孤の一部」として捉え、キャンバスに竹弓を接合する実験的絵画「弓形が触れて」シリーズも。 (その後、1980年代の《arc・ellipse》シリーズへ。)
1980年代半ば(主に1986年頃)に集中的に描かれた「キャンバスの平面の中で、いかにして空間の広がりや動きをコントロールするか」を突き詰めた《ℓ字型(エルじがた)》シリーズ。

(《ℓ字型》シリーズ)
後期・2000年〜
緑・紫・オレンジという独特の色彩と、1〜2メートルの長柄の筆による大画面。《背・円》《ポワの始まり》シリーズなど。

(《背・円(はい・えん)》シリーズ)
「ハイレッド・センター」資料
展覧会序盤に展示されていたのは、ハイレッド・センター時代の書簡、手書きのメモ、イベントの告知物などの資料だ。

(ハイレッド・センター関連の書簡・資料類)
手書きの文字を見ていると、当時の「熱」のようなものが伝わってくる気がした。
「反芸術」は反乱であり遊びであり、真剣な問いだった。それがこの几帳面な文字から滲み出ていた。
と同時に、これほど精力的に「絵画の外」を探求した人が、なぜ後に「絵画へ回帰した」のか。
《ポワの始まり》シリーズ
晩年を中心とする大作群の展示室に入ったとき、最初に感じたのは色だった。
「ポワ」という言葉は、フランス語の「ポワン(Point = 点、地点、先端)」を指していて、彼自身の絵画論において最も重要視したものである。筆がキャンバスに触れる「最初の接点」であり、巨大な世界(円弧)と絵画が交わる「際(きわ)」、画面を構築する「斑点(ドット)」でもある。白地の上に黄緑の飛沫、紫の塊、白い花のようなモチーフ。特定の何かを描いているのではなく、しかし無秩序でもない。
黄緑と紫の世界
「半透明な絹のような感覚」という解説パネルの言葉に頷いた。

(《4ツの始まり》シリーズの展示室)
この系列の作品は、近くで見ると細部の粒子的な筆触が面白く、離れて見ると全体が霞のように揺れている。
「距離によって見え方が変わる」という体験が、「緩やかにみつめる」というタイトルの言葉と繋がっていく気がした。
竹弓を接合したキャンバス
展示の中でひとつの転換点として機能していたのが、《arc・ellipse》シリーズ(1980年)だ。

(《arc・ellipse 》シリーズ)
「身体と絵画の関係」という視点でこの展覧会全体が見え直した気がした。
2メートルの長柄の筆は、絵画の製作者と鑑賞者が同じ位置になるためであり、同時に「身体をキャンバスから切り離す」ための道具でもあった。

(制作風景)
ハイレッド・センターのイベントと、一見断絶して見える晩年の絵画が、「身体」という軸で繋がっているように思えた。
「反芸術」から「絵画」へ
「なぜ彼は絵画に戻ったのか」という問い。この変化をどう読むのか明確な答えは出なかった。
- 「反芸術」は芸術をやめることではなく、芸術の自明の理を疑うことだったのかもしれない。
- 土方巽との出会いによって、絵画もまた身体的な営みとして成立しうると気づいたのかもしれない。
- 「緩やかにみつめる装置」という思想は、その探求の果てに辿り着いたものだったのかもしれない。
それでも結局のところ、私は彼を理解したとは言えない。
しかし理解することよりも、「見続けること」が必要なのだと教えられた気がしている。
「佇む」ことを忘れていた自分に気づく場所
現代美術の展覧会で「わかりやすさ」を求めると、この展覧会は手応えがないかもしれない。
逆に、「わからないまま絵の前に立ち続ける」ことを許してもらえる気分になれるなら、これほど豊かな体験はそうそうないのでは。
「緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」
展覧会を出た後、この言葉がよく理解できた。
これは絵画の説明ではなく、絵の前に立つ人間への指示だったのだと思う。
佇め。急がずに。ゆっくりと。見続けろ。
国立国際美術館の地下の静かな空間で、「佇む」という体験を味わえた。
※撮影可能エリアにて撮影。


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