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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には小説『みんな邪魔』の核心に触れるネタバレが含まれています。
未読の方はご注意ください。
タイトルを見た瞬間、刺さってしまった
「みんな邪魔」。
この5文字を見たとき、笑い飛ばせなかった。何かに熱中しているとき、確かに思う——ちょっと待って、今じゃない、あとにして!という感覚。それが「みんな邪魔」という言葉の奥にある、あの感じ。
『みんな邪魔』(幻冬舎文庫)は、単行本時代のタイトルは『更年期少女』。改題後のタイトルの方がキャッチーではあるが、「更年期少女」という言葉の方が、この小説の本質を鋭く突いている気がする。
真梨幸子さんは「イヤミスの女王」と呼ばれる作家だ。読むと嫌な気持ちになるのに、なぜか止められない。本作はその魅力が凝縮された一冊だ。
作品概要
著者は真梨幸子(まり・ゆきこ)、1964年宮崎県生まれ。多摩芸術学園映画科卒業後、2005年に『孤虫症』で第32回メフィスト賞を受賞しデビュー。『殺人鬼フジコの衝動』の文庫が累計50万部を超えるヒットとなり、「イヤミスの旗手」として一躍注目を集めた。
- 「みんな邪魔」という感情に、少しでも覚えがある人
- 現実逃避と集団心理の怖さを味わいたい人
- “他人事ではないイヤミス”を読みたい人
あらすじ
池袋のフレンチレストランに集まるのは、往年の少女漫画『青い瞳のジャンヌ』を愛する中年女性たち。「青い六人会」だ。
マルグリット(46歳・リーダー)、シルビア(53歳・借金苦の嘘つき)、ジゼル(42歳・几帳面なセレブ妻)、ミレーユ(49歳・無職独身で親のスネをかじる)、ガブリエル(32歳・会のアイドル的存在)、エミリー(41歳・DV夫を持つ)。彼女たちは少女漫画の登場人物になぞらえたハンドルネームで呼び合い、噂話と妄想を楽しんでいる。
しかしあるメンバーの失踪をきっかけに、会の空気が変わり始める。飛び交う嘘、姑息な罠、そして惨殺事件。現実から目を背け、ヒロインを夢見る彼女たちの熱狂が加速するとき、また新たな犠牲者が生まれていく。
「青い瞳のジャンヌ」という装置の意味
この小説で中心に置かれる少女漫画「青い瞳のジャンヌ」は架空の作品だ。しかし「ベルサイユのばら」や当時の少女漫画を彷彿させる、耽美で閉じた世界観を持つ作品として設定されている。
重要なのは、彼女たちがなぜそこまでジャンヌにのめり込むのかという点だ。
それは「スポットライトの当たる人生」の象徴だからである。 DVから逃げられない日常、終わらない親の介護、夫と姑への不満、借金苦。40代・50代の女性たちが抱える、それぞれの現実は「思い描いていた人生」とはほど遠い。
ジャンヌは逃避ではない。むしろ「ヒロインとしての自分」を取り戻そうとする、必死の回路である。その熱が過剰になったとき、「みんな邪魔」という感覚が現実を侵食していく。
「ガブリエル」という仕掛け
この小説には、大きな叙述的仕掛けがある。
「青い六人会」は全員女性だと読者は自然に思い込む。しかし物語が進むにつれ、その前提が揺らぎ始める。
唯一若く美しいアイドル的存在のガブリエル。その中性的な描写、妙に外部視点的な振る舞い。それらは違和感として蓄積していく。
そして明かされる事実が、「ガブリエルは男性」だった。記事執筆のために潜入した元ホスト・渡瀬である。
読み返すと、そこかしこに伏線は埋まっていた。中性的な雰囲気の描写、ジゼルの妊娠をめぐるくだり、サークルへの参加動機の曖昧さ。全て、「男性である」という前提で読むと辻褄が合う。
この仕掛けの巧妙さは、「少女漫画好きの集まり=女性」という読者の無意識の前提を逆手に取っている点にある。
ミレーユの章のリアルな怖さ
生々しくて一旦中断したいと思ったのが、ミレーユの章だった。
ミレーユは無職独身で、親のスネをかじりながら生きている。ファンクラブ活動だけが自分のアイデンティティで、そこに費やすお金の感覚がどこかずれている。
そして、要介護状態になっていく実母の描写がある。 その描写は、ジャンヌに熱狂するミレーユと、衰弱していく母親が共存する日常として描かれる。
母親の介護を「やるべきことをこなしている」という感覚でこなしながら、精神的にはジャンヌの世界に逃げ込んでいる。その心理の、あまりにもリアルな描写が「他人事ではない」怖さを生む。
「これほどまでに熱中できるものがあること」と「現実から逃げているだけではないか」という自責。そのふたつが同居する感覚は、特定の世代や状況の人だけの話ではないだろう。
「やるべきこと」と「逃げ込みたい世界」が同時に存在する状態。その均衡の崩れが、静かに読者の足元を揺さぶる。
水で割らない、イヤミス百パーセント濃縮原液
本作は、いわゆる救いや整理を極力排除したイヤミスである。
メンバーが次々と命を落とし、悲惨な事件が重なり、ラストには「それでも青い六人会は存続する」という一文がある。 関係者が何人も亡くなったのに、それでも続く会。新たな六人が集まって、また同じような輪が作られていく。その「懲りない繰り返し」こそがこの小説の最も恐ろしい部分だ。
人は、学ばない。逃げ場がなければ、また逃げ場を作る。その循環に対する容赦のない視線が、著者らしいと思う。
「あ、私のことかも」と笑えなくなる瞬間
この作品の恐ろしさは、登場人物の中に“異常者”がいない点にある。
誰もが何かを抱え、誰もが逃げ場を求め、誰もが誰かを邪魔だと思う瞬間を持っている。
その重なりが、「他人事」ではなくなっていく。
これが「イヤミス」の本質だと思う。嫌な気持ちになるのは、他人の醜さを見るからではなく、その醜さに「あ、私のことかも」という感覚が混ざるからだ。
タイトルの多層的な意味
「みんな邪魔」という言葉は単純ではない。
何かに熱中しているときの「みんな邪魔」。これが最も直接的な意味だろう。しかし、 それぞれのメンバーが互いを「邪魔」と感じていることも見えてくる。ガブリエルを中心に集まる会の中で、誰もが「あの人さえいなければ」と思っている。そして現実の夫も、子どもも、親も、目の前の仕事も、ジャンヌの世界に没入したいときにはすべてが「邪魔」になる。
「みんな邪魔」という感情は、特定の誰かだけのものではない。夢中になっているとき、誰かの声を煩わしいと感じたことが一度もない人はいないはずだ。何かに夢中になるとき、誰もが一度はこう思う。この小説はそのことを、過激な形で形にしている。
他人事にできない
読み終えたとき、「こうはなりたくない」と思うと同時に、「本当に自分は違うのか」という問いが残る。
現実から逃げたい気持ちは、誰にだってある。何かにのめり込んで、周りが見えなくなった経験も、きっとある。「あの人さえいなければ」という思いが心をよぎったことも、正直ゼロではない。
各々に逃げたい現実がある。それが極端な形をとったとき、保たれていたバランスが崩れた先に何があるのか。
本作は、その怖さを静かに突きつけてくる。



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