あれを呼んだのは誰か|中島哲也が映画『来る』で描く、家族という名の加害

映画感想

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⚠️ ネタバレに関するご注意

この記事には映画『来る』のネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。

「ホラー映画として観ると戸惑うかもしれない」。

怪物は出てくる。人も死ぬ。確かにホラー映画の要素は揃っている。

それなのに、私が観ていて一番怖かったのは怪物ではなかった。

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前半、妻夫木聡演じる秀樹を見ているあいだ、ずっとイライラしていた。そのイライラの正体に気づいたとき、この映画は単なる怪異譚ではなく、「家族という名の加害」を描いた物語だったのだと思った。

『来る』
原作
澤村伊智「ぼぎわんが、来る」
著者 / 監督
中島哲也
制作 / 公開
2018年
上映時間
134分
ジャンル
ホラー / サスペンス / 家族ドラマ
鑑賞後トーン
不穏 / 考えさせられる
キーワード
家族 / 育児 / オカルト / ネグレクト / 人間の闇
こんな人におすすめ!
  • 単なるホラーでは物足りない人
  • 『告白』『渇き。』が好きな人
  • 家族や育児の闇を描く作品に惹かれる人

あらすじ

田原秀樹(妻夫木聡)は、妻・香奈(黒木華)と幼い娘・知紗に恵まれた「幸せな家族」を自称している。

SNSには育児の様子を投稿し、職場では子煩悩な父親として振る舞う。しかし実際には、家事も育児も香奈に任せきりで、自分は飲み会や自己アピールに余念がない。

そんな秀樹のもとに、ある日「知紗さんの件で」という不可解な伝言が届く。その直後、対応した後輩が謎の死を遂げる。

やがて秀樹の周囲では説明不能な怪異が起こり始め、オカルトライターの野崎(岡田准一)と霊能者の真琴(小松菜奈)が調査に乗り出す。そして「あれ」と呼ばれる強大な存在との戦いは、日本最強の霊媒師・琴子(松たか子)を中心とした大規模な除霊へと発展していく。

なぜ怪物より秀樹の方が怖いのか

この映画を「怖くなかった」と感じた人の多くは、おそらくジャンプスケア中心のホラーを期待していたのだと思う。

確かに「あれ」は最後まで明確な姿を見せない。怪物としての恐怖は間接的だ。

だけど前半の秀樹パートは、それとは別種の怖さで満ちていた。

妻に相談なく高額な引っ越しを決める。育児をしているふりをしながら何もしない。SNSでは理想の父親像を演じ続ける。

どれも現実にありそうだからこそ痛い。

この映画は怪物の話ではなく、加害者になってしまう家族の話だ。

秀樹自身は悪人のつもりなどない。むしろ「良い夫」「良い父親」だと思っている。その無自覚さこそが恐ろしく、観客の苛立ちを呼び起こす。

そしてその苛立ちこそが、この映画が仕掛けた最初の罠だったように思う。

「あれ」の正体は何なのか

映画は最後まで「あれ」の正体を説明しない。

それは欠点でもあり、この作品の魅力でもある。

① 民間伝承としての「ぼぎわん」

原作小説では、日本各地に伝わる子さらいの怪異「ぼぎわん」がモチーフになっている。

子供が「いなくなればいい」と思われたときに現れる存在という設定は、少子化や育児放棄といった現代的な問題とも重なって見える。

② 虐待やネグレクトの具現化

秀樹の育児放棄。

香奈の孤独な子育て。

知紗は決して十分に守られていたとは言えない。

後半で香奈が育児の極限状態の中、「知紗なんていなければよかった」と思っていたことが示唆される。

もし「あれ」がその感情に引き寄せられたのだとしたら、この怪物は虐待やネグレクトそのものの象徴として読むこともできる。

③ 説明不能な悪意そのもの

理由も目的も持たない純粋な暴力。

そう考えると、「あれ」は中島哲也作品に繰り返し現れる人間の内なる闇の延長線上に位置するのかもしれない。

『告白』や『渇き。』にも通じる、人間が抱える説明不能な悪意の化身なのだろう。

なぜ「あれ」は知紗に執着したのか

私が気になったのは、「あれ」がなぜ知紗を狙ったのかという点だった。

香奈は育児の孤独の中で追い詰められ、一瞬でも「消えてしまえ」と願ってしまった。

もちろん、それは母親として失格だからではない。

むしろ極限状態に追い込まれた結果として生まれた感情だった。

怪物は外からやって来たのではなく、家族の中から生まれたのかもしれない。

松たか子という爆発力

正直に言うと、琴子(松たか子)が登場した瞬間から映画の空気は一変する。

それまでの陰鬱な夫婦ドラマから、一気に大規模除霊バトルへ。

この急激なギアチェンジを「別の映画みたい」と感じる人がいるのもよく分かる。

ただ、私は原作と違うものとして鑑賞していたので、このパートは好きだった。

全国から霊媒師たちが集結する光景には、どこか怪獣映画の総力戦にも似た高揚感がある。

あの戦いは除霊というより、「誰も引き受けようとしなかった責任を引き受ける行為」に見えた。

原作小説『ぼぎわんが、来る』を読んでいると、この変化はさらに興味深い。

原作では、「ぼぎわん」という怪異の不気味さと、それを呼び寄せてしまう家族の歪みがじわじわと描かれる。夫婦のすれ違い、育児の孤立、そして世代を超えて連鎖する負の感情。恐ろしいのは怪異そのものというより、それが生まれる土壌の方だった。

一方で映画版は、その陰湿な怖さを残しながらも、後半では全国の霊媒師たちが集結する大規模な除霊劇へと舵を切る。

原作が「ぼぎわん」と家族の物語だとすれば、映画は「あれ」と人間たちの総力戦の物語だった。

怖さの質はまったく違う。それでもどちらにも共通しているのは、「怪異は突然やって来るのではなく、人間の弱さや歪みに引き寄せられる」という視点だ。

だから私は、原作も映画もどちらも好きだった。

中島哲也監督が描いてきた「モンスター」

秀樹は怪物に怯えている。

しかし家族にとって本当の怪物は誰だったのか。

その問いこそが、この映画の核心だと思う。

「ホラー映画」という括りだけではない作品

「怖くなかった」という感想も理解できる。

「前半と後半が別の映画みたい」という意見ももっともだ。

それでも、この映画が描いた家族の息苦しさや、育児の孤独、そして無自覚な加害の恐ろしさは強く心に残った。

怪物より怖いのは人間だ。

ありふれた結論に見えるかもしれない。

だけど『来る』は、その言葉を驚くほど説得力を持って突きつけてくる。

あなたが、この物語で一番怖かったのは誰でしたか。

「あれ」か、それとも…

この映画が刺さった人へ

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・原作はこちら。映画で描かれなかった深み → 小説『ぼぎわんが、来る』感想・考察|「本当に怖いもの」は、おばけではなかった
・”調べるほど侵食される”実話怪談 → 小説『残穢』感想&考察|この本を読んでから、部屋の音が気になるようになった
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