映画『チョコレートドーナツ』感想・考察|「ここは僕の家じゃない」と言った少年の話

映画感想

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⚠️ ネタバレに関するご注意

この記事には映画『チョコレートドーナツ』のネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。

タイトルに騙されたけど、それでよかった

「チョコレートドーナツ」というタイトルは、甘くて温かい印象。日本のキャッチコピーも「ぽっかりと空いた心の穴が愛で満たされた日々」と、どこかほっこりした雰囲気を感じた。

だけど、この映画はそんな言葉では到底収まらないものを残す。

ハッピーな外観を信じて観始めたのに、最後に絶句する。そしてその絶句の余韻が、この映画の本当の魅力だと思う。

原題は「Any Day Now(いつの日か)」。ボブ・ディランの名曲「I Shall Be Released」の一節「Any day now, I shall be released(いつの日か、解き放たれるだろう)」からの引用だという。タイトルの意味を知ってから観ると、また違う重さを感じる映画でもある。

『チョコレートドーナツ』
原題
Any Day Now
監督
トラビス・ファイン
制作 / 公開
アメリカ・2012年 / 日本・2014年
上映時間
97分
ジャンル
社会派ドラマ / 愛の物語
鑑賞後トーン
リアリティ / 深い
キーワード
偏見 / 同性愛 / 育児放棄 / 障害

作品情報

2012年製作、アメリカ映画。監督はトラヴィス・ファイン。主演のルディ役はアラン・カミング(実際の歌声も圧巻)、恋人のポール役はギャレット・ディラハント、ダウン症の少年マルコ役はアイザック・レイヴァ(実際にダウン症の俳優)。1970年代ニューヨークのブルックリンで実際に起きた「ゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得た作品。全米各地の映画祭で観客賞を受賞し、日本でも異例のロングラン上映を記録した。

こんな人におすすめ!
  • 「家族とは何か」を考えさせられる映画が好きな人
  • 泣けるだけでは終わらない作品を観たい人
  • LGBTQや社会的マイノリティを描いた作品に興味がある人
  • 静かな怒りが残る映画が好きな人

あらすじ

1970年代のカリフォルニア。ゲイバーで歌う夢を持つパフォーマー、ルディ(アラン・カミング)は、そのゲイバーに客としてやってきた検察官のポール(ギャレット・ディラハント)と出会い、恋に落ちる。

ルディの隣の部屋に住む麻薬中毒の母親の子ども、ダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)は、母親が逮捕された後、一人で部屋に取り残されていた。ルディはマルコを放っておけず、ポールと相談して暫定的な親権を取得し、三人の家族生活が始まる。

マルコは笑顔を取り戻し、学校に通い始め、ディスコダンスが得意な少年として生き生きと育っていく。しかし「同性愛者のカップルが子どもを育てる」という事実は、1970年代の社会には受け入れられず、ふたりは何度も壁にぶつかる。

この映画が描く「三種のマイノリティ」

この映画に登場する中心人物たちは、それぞれ「社会のマイノリティ」として描かれている。

ゲイのルディ。
ゲイであることを職場に隠し続ける検察官のポール。
ダウン症で育児放棄されたマルコ。

そして興味深いのは、この三人を支える周囲の人物もまた、マイノリティ的な立場の人が多いことだ。社会の「多数派」にいる人々が、この物語では壁として機能している。

だけどこの映画は「マイノリティ対多数派」という単純な図式では語らない。ルディとポールとマルコの「家族」が、どれほど機能的で愛情に満ちているか。3人の日常があまりに幸せそうで、ずっと観ていたかった。

映画はその日常の豊かさを描くことで、「彼らを排除しようとする社会の側」がどれほど的外れなことをしているかを、怒鳴ることなく静かに示していた。

怒鳴らない映画が、一番怖い怒りを残す。

「うち」という言葉が刺さる

裁判に負け、ルディとポールのもとを強制的に引き離されたマルコは、かつて母親と暮らしていたアパートに連れ戻される。

「家に帰れるよ」と告げられ、喜んで車に乗ったマルコ。しかし到着したのは、かつての薄暗いアパートだった。

「ぼくのうちじゃない」

その一言だけで、何が間違っていたのかは十分すぎるほど伝わる。

ポールの「変化」という人間ドラマ

彼は最初、「バレないように」という生き方をしていた。

しかしマルコと暮らす中で、その前提が崩れていく。

マルコのために法廷で戦い、上司の怒りを受け、職を失う。それでも引き下がらない。

社会に合わせて生きるのか、それとも自分の信念に従うのか。

ポールはその選択を、逃げずに引き受けた。

ルディの「歌声」と抵抗の形

ルディはゲイバーでパフォーマーとして働きながら、「いつか自分の声で歌いたい」という夢を持っている。

この映画における「歌」は、自己表現であり、同時に抑圧への静かな抵抗でもあるように思えた。

ラスト、すべてを失ったように見えながらも、舞台に立ち歌うルディ。

その姿は、「それでも続ける」という意志そのものに感じた。

「ハッピーエンドが好き」というセリフ

マルコは毎晩、寝る前にルディにお話をせがむ。そして必ず言う。

「ハッピーエンドがいい」

その無垢な願いは、物語の最後で残酷な意味を持つことになる。

ラストの手紙

マルコが死んだ後、ポールは関係者に手紙を送る。

怒鳴らない。ただ事実だけを淡々と伝える。

その静けさこそが、最も強い告発になっている。

物語は終わる。でも問いは終わらない。

簡単に「感動した」と言いたくない映画

「感動した」という言葉は合っているけれど、その感動は決して甘くない。

チョコレートドーナツのように甘いタイトルとは裏腹に、この映画が残すのは長く続く苦みだ。

そしてその苦みは、「同じことを繰り返さないために」という問いへと変わる。

これは傑作だ。そして観るのに、少し覚悟が必要な傑作だ。

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