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⚠️ ネタバレに関するご注意
この記事には小説『微笑む人』の核心に触れるネタバレが含まれています。
未読の方はご注意ください。
「本が増えて家が手狭になった」
エリート銀行員が妻子を殺害した動機として法廷で述べた言葉だ。普通なら「は?」となるはずのこの動機が、この小説を読み終えても「じゃあ本当の動機は何だったのか」という答えは得られない。
それが『微笑む人』という小説の核心。
理解できない犯罪が、一番怖い。
このキャッチコピーは、読み終えた後にようやく本当の意味を持つ。
- 答えの出ないミステリを楽しめる人
- 人間の多面性について考えたい人
- 「他人を理解する」とは何かを考えたい人
あらすじ
エリート銀行員の仁藤俊実が、「本が増えて家が手狭になった」という理由で妻子を殺害する。
小説家の「私」は事件をノンフィクションにまとめるべく、周辺の人々への取材を始めた。
「いい人」と評される仁藤だが、過去に遡るとその周辺で不審な死を遂げている人物が他にもいることが判明し……。
貫井徳郎さんはこの作品のテーマを、「世間の人たちは、自分がわかる範囲だけで“わかった気”になっていること」だと語っている。
語り手の小説家「私」が取材を重ねながら、仁藤という人物の全貌に迫ろうとするという本作。
読んでいる間中ずっと、「次で真相がわかる」という期待感と緊張感が持続する。
「よくいる普通の良い人」という最も不気味な存在
この小説でまず引き込まれるのは、仁藤俊実というキャラクターの造形だ。
職場では優秀で人当たりが良く、誰からも慕われている。家庭では妻子に対して穏やかで、近所でも評判のいい父親だった。
それが突然、信じがたい動機で家族を殺した。
とても穏やかで人当たりも良く、およそ人を殺すことなどあり得ない仁藤の動機は、自宅の本を置くスペースを確保したかったから。
動機に納得できない作家の主人公は過去に遡り、仁藤の人物像を暴いていくうちに、いくつもの不可解な事件に遭遇する。
この「誰もが良い人だと思っていた人間が犯罪者になる」という設定は、ミステリによく見られる。
しかし本作はその先に、もっと不快な問いを用意している。
「仁藤が殺人者になった理由」がわかれば、私たちは安堵できる。
「ああ、そういう特殊な背景があったから自分とは違う」と、彼を“理解の外にある存在”として安全に仕分けできるからだ。
だが、この小説はその安堵を最後まで与えてくれない。
「取材」という手法が生む独特の恐怖
この小説の語り手は小説家「私」だ。
事件を題材にノンフィクションを書こうとする「私」が、仁藤の周辺人物に取材していく。この構造が、この作品独特の不気味さを生み出している。
小説家がノンフィクションを書く体で、淡々と物語が語られる。
証言が積み重なるにつれて、仁藤の像は少しずつ形を変えていく。
ある人からは「心優しい人物」、別の人からは「何か冷たいものを感じた」という証言が出てくる。
どれが本当の仁藤なのか。「私」が迷うのと同じように、読者も迷わされる。
数々の証言から浮かび上がる真実の行方と、主観の危うさを読者に問いかける終わり方で、人間は表と裏しかない単純なものではなく、見る角度によって形を変えるもっと複雑な存在なのだと感じさせられる。
「人を複数の視点から見ると、一人の人間が全く違った姿に見える」
これは現実においても普遍的な体験だろう。
同僚として見た人と、家族として見た人と、学生時代の友人として見た人では、同じ人物でも全く異なる印象になる。
この小説はその「印象の揺らぎ」を、ミステリという形式を使って極限まで煮詰めている。
「答えが出ない」ことが最大の仕掛け
この小説のラストについては、正直に言えば賛否が分かれるかもしれない。
ミステリ小説は最後には犯人のすべてが明るみになって然るべき、という当たり前を崩される衝撃がある。
殺人犯を殺人犯たらしめた経緯や動機がわかれば、その瞬間「対岸の火事」として自分と切り離すことができるのに、それが許されない。
モヤモヤして、不穏で、うっすらと背中が寒くなる。
「犯人の動機がわかればスッキリする」ミステリを読む読者が無意識に期待することを、この小説は意図的に裏切る。
作中で語られる、 「最終的に理解できる結末が必ずあるのなんて、フィクションの中だけですよ」 というセリフがグサリと刺さる。
このセリフこそが、この小説の核心なのだろう。
「理解できる動機があると思い込んでいること自体が、フィクションへの依存」貫井徳郎さんは読者にそう告げている。
「犯人に理解できる背景があることを確認して安心しようとしているんだね? でも本当は他人のことなんてわからないでしょう?」と、先回りして見透かされていたような感覚になる。
真相を求めて読み進め、読み終えた後も、考えれば考えるほど「わからない」ことに気づかされる。
この体験こそが、この小説が目指していたものなのだと思う。
「モヤモヤ」の正体
最終的に答えがわからず、モヤモヤしてしまっている自分自身が、この本の指摘している「わからないはずのことを、自分の都合の良いように解釈して安心したい人間」そのものなのかもしれない。
このモヤモヤは不快なものかもしれないが、同時に「この感覚こそが著者の狙い」でもある。
読後感はスッキリしないのに面白い。答えが出ないのに読後感が良い。
それはおそらく、この小説が「読者自身の内側」を映し出す鏡として機能しているからだと思う。
私たちは「仁藤の動機を知りたい」と思いながら読んでいる時点で、すでに作者の手のひらの上にいる。
「100%相手のことがわかる」という傲慢さ
「100%相手のことがわかったら、超能力者」
相手のことをわかっていると自信を持って言える人は、わかっていないことに気づいていない。
自分のことすらわかっていないのに、他人のことが完全にわかるわけがない。
この小説は、「他者を理解すること」の不可能性と傲慢さを問い続けている。
ニュースで凶悪事件が起きると、人々は「動機」を求める。
「理解できる動機」があれば安心し、「理解できない動機」だと恐怖する。
しかし、その「理解」は本当に正確なものなのか。
この小説は、それを突きつけてくる。
貫井さんは、このラストに「他人のことを全部知ろうなんて無理だし、その行為は傲慢でもある」という意味を込めているのかな、と勝手に受け取った。
「答えが出ない」ことに慣れていないみんなへ
この小説は好き嫌いが分かれる作品だと思う。
「きれいに謎が解けるミステリ」を求めている方には、確かに物足りなさを感じるかもしれない。
しかし、この作品が問いかけていることは、ミステリという枠を超えている。
「他者を理解するとはどういうことか」「私たちは本当に隣の人間を知っているのか」これは今の社会でも消えない問いだ。
「わからない」「理解が及ばない」ことが、一番怖い。
モヤモヤしながら本を閉じ、しばらくして「もしかしてあれはこういうことだったのかも」と思い返す。
そんな読書体験を求めている方には、強くおすすめしたい一冊だ。
※松坂桃李さん主演でドラマ化されていますが、原作とラストが異なります。両方楽しむことで、それぞれの「仁藤像」の違いを比較するのも面白いです。



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