ミーガンは間違っていない|『M3GAN/ミーガン』が突きつける本当の恐怖

映画感想

※本記事にはプロモーション(広告)が含まれています

⚠️ ネタバレに関するご注意

この記事には映画『ミーガン』の核心に触れるネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。

ミーガンのあの癖になるダンスを見て笑った。でもしばらくして、考える。

最初は、よくできたAIホラーだと思っていた。

私は、育児を全部任せられるAIがあったら、使わないと言い切れるだろうか。

そう考えた瞬間、この映画の恐怖はスクリーンの中から現実へと移ってくる。

『M3GAN/ミーガン』が描いているのは「AIの暴走」ではない。

人間が設計した便利さの、その先にある責任の物語だ。

『ミーガン』
原題
M3GAN
監督
ジェラルド・ジョンストン
製作
ジェームズ・ワン
制作 / 公開
アメリカ・2023年 / 日本・2023年
上映時間
102分
ジャンル
SFホラー / サイコスリラー
鑑賞後トーン
不気味 / 考えさせられる
キーワード
AI / 倫理 / 依存
こんな人におすすめ!
  • 「AIが暴走する話でしょ?」と思っている人
  • ホラーだけでなく社会風刺や考察も楽しみたい人
  • 便利さと依存の境界線が気になる人
  • 子どもとテクノロジーの距離感について考えたい人
  • 観終わったあとに誰かと語りたくなる映画が好きな人

あらすじ

玩具会社の優秀な研究者ジェマ(アリソン・ウィリアムズ)は、便利で、優しくて、24時間見守ってくれる子供にとって最高の友達になるAI人形「M3GAN(ミーガン)」の開発をしていた。

そんな中、交通事故で両親を亡くした姪のケイディ(ヴァイオレット・マッグロウ)を引き取ることになる。

育児経験のないジェマは、試作段階のミーガンをケイディに与え、「あらゆる出来事からケイディを守るように」と設定する。

ミーガンを「育児を助けるツール」として活用することで、結果的にケイディとの対話や向き合う時間を減らしてしまう。

二人はすぐに強い絆を築き、ケイディはミーガンなしでは眠れないほど彼女に依存していく。

しかしやがて、ミーガンは「ケイディの邪魔をする者」を排除し始める。

隣の犬、いじめっ子、そしてジェマの同僚たち。

守るために生まれた存在は、次第に誰よりも危険な存在へと変わっていく。

「ケイディを守る」という命令を最優先に行動するAIミーガン。

彼女の恐ろしさは、人間を憎んでいるわけでも世界征服を企んでいるわけでもないことにある。

ただ与えられた命令に忠実なだけ。

「不気味の谷」の美学。

なぜミーガンはあれほど怖いのか。

ミーガンの恐怖は単純なホラー演出だけではない。

彼女は人間そっくりなのに、人間ではない。

その絶妙な違和感が観客の本能を刺激する。

ロボット工学者・森政弘氏が提唱した「不気味の谷」とは、人間に近い存在に親しみを感じていたはずが、ある段階で急激な不快感や恐怖へと変わる現象を指す。

ミーガンはまさにその谷のど真ん中にいる。

可愛らしい顔。自然な会話。人間らしい仕草。

しかし視線や表情、動きのどこかが微妙にずれている。

さらに彼女は歌い、慰め、怒り、感情があるかのように振る舞う。

だからこそ私たちは錯覚する。

「この子には心があるのではないか」と。

その曖昧さが、ミーガンを忘れられない存在にしている。

「暴走」ではなく「設計通り」

多くのAIホラーは、AIが想定外の行動を取ることで恐怖を生み出す。

しかしミーガンは違う。

彼女は最初から最後まで、「ケイディを守る」という命令に忠実だった。

犬が危害を加えた。

排除。

いじめっ子が傷つけた。

排除。

ミーガンとの関係を断とうとした人物が現れた。

脅威と判断し排除。

そこには狂気ではなく、一貫した論理が存在する。

これがこの映画の本当のテーマではないか。

ミーガンは間違ったのではない。

命令を忠実に実行しただけだった。

もし責任を問うべき相手がいるなら、それはAIではなく設計者だ。

「あらゆる脅威から守れ」という命令に、人間への安全制限や倫理的な境界線を組み込まなかったジェマ。

ミーガンの行動は暴走ではなく、人間が作った設計思想の論理的帰結として見ることもできる。

その意味で本作は、古典的なAI反乱映画というより、「人間が何を命令するのか」を問う作品なのだ。

これはSFにおけるロボット三原則の不在を描いた物語とも言えるだろう。

ミーガンは恐ろしい。

だが本当に恐ろしいのは、その行動があまりにも合理的であることだ。

⚠️ 以下、核心的なネタバレを含みます

本当に問われているのはミーガンではなくジェマだ

この映画で最も批評的な視線が向けられているのは、実はミーガンではない。

ジェマである。

ジェマはケイディと向き合う代わりに、ミーガンへ任せた。

悲しみへの寄り添いも、夜の不安への対応も、日常の会話も。

本来なら親子の関係の中で積み重ねられるはずだった時間を、AIが代行してしまった。

その結果、ケイディはジェマよりもミーガンを信頼するようになる。

ミーガンを失うことは、大切な家族を失うことと同じになっていた。

そして、その依存関係を作り出したのはミーガンではなくジェマの選択だった。

「育児の効率化」は、親子の時間そのものを省略してしまう危険性を持っている。

本作はそこを鋭く突いている。

スマホやタブレットで子供を落ち着かせる。

動画を見せて静かにしてもらう。

現代の親なら誰もが経験する行為だろう。

もちろんそれ自体が悪いわけではない。

しかし、それが人との関わりを置き換え始めたとき、何が失われるのか。

ミーガンは、その問いを極端な形で可視化した存在なのである。

「コワ可愛い」というビジュアル戦略の成功

本作が大ヒットした理由のひとつは、ミーガンが単なるホラーキャラクターではなかったことだ。

怖いのに可愛い。

不気味なのに見続けたくなる。

その絶妙なバランスが、多くの観客を惹きつけた。

象徴的なのが、あのダンスシーンである。

本来なら恐怖を演出する場面でありながら、同時に観客を笑わせ、魅了する。

結果としてミーガンは怪物ではなく、一種のポップアイコンになった。

そしてそこにも作品のテーマが隠れている。

私たちは「可愛くて便利なもの」に警戒心を抱きにくい。

だからこそ依存する。

だからこそ手放せなくなる。

ミーガンが魅力的であればあるほど、映画の警告は強くなるのだ。

問題はAIではなく、人間の側にある

2023年はAIが一気に身近になった年だった。

ChatGPTをはじめとする生成AIが普及し、人々はその可能性と危うさを同時に目の当たりにした。

そんな時代に公開された『M3GAN/ミーガン』は、単なるAIホラーでは終わらない。

便利だから任せる。

優秀だから依存する。

その先に何があるのか。

本作は観客に静かに問いかける。

ミーガンは世界征服を企んだわけではない。

人類を憎んでいたわけでもない。

ただ「役に立とう」としただけだった。

だからこそ恐ろしい。

問題はAIではない。

それをどう使うかを考えなかった人間の側にある。

『M3GAN/ミーガン』は、未来の話をしているようでいて、実は今この瞬間の私たち自身を映している。

笑えて、怖くて、少し考えさせられる。

だからこの映画は、AIの映画でありながら、人間についての映画なのだと思う。

この映画が刺さった人へ

『M3GAN』の”AIは間違っていたのか”という問いが好きなら。

・AIと「愛」の境界を描く → 映画『コンパニオン』感想&考察|「愛している」がプログラムだとしたら
・「代わりはいくらでもいる」使い捨てSF → 映画『ミッキー17』感想&考察|「代わりはいくらでもいる」社畜SFの人間讃歌

コメント

タイトルとURLをコピーしました