映画『ヴィジット』感想・考察|「おばあちゃんちに泊まる」のが、こんなに怖いなんて…

映画感想

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⚠️ ネタバレに関するご注意

この記事には映画『ヴィジット』のネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。

「夜9時半以降は、部屋から出ないこと。」


ヴィジット

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「おばあちゃんち」というホラーの舞台

おじいちゃん・おばあちゃんの家に泊まりにいく。誰もが一度は経験したことがあるだろう、あの特別な時間。独特のにおい、慣れない布団、少し暗い廊下、夜中にふと目が覚めると聞こえてくるよくわからない物音。子どもの頃、それらが少し怖かったという記憶を持つ人も、けっして少なくないのではないだろうか。

M・ナイト・シャマラン監督の2015年作品『ヴィジット』は、その「ちょっと怖い記憶」を最大限に活かしたホラーサスペンスだ。

祖父母の奇行、夜9時半という謎のルール、立入禁止の地下室。これらが積み重なる中盤までの不気味さは、「日常のちょっとした違和感」という恐怖の原液を丁寧に抽出している。そして後半に待ち受ける衝撃の真実。観終わった後にじわじわと残るのは恐怖だけではなく、もっと違う何かだった。

『ヴィジット』
原題
The Visit
監督
M・ナイト・シャマラン
制作 / 公開
アメリカ・2015年 /日本・2015年
上映時間
94分
ジャンル
サスペンス / ホラー / トラウマの克服
鑑賞後トーン
不気味 / 衝撃の真実 / 家族
キーワード
違和感 / 偽物 / 記憶の上書き / 赦し

基本情報

2015年公開、監督・脚本はM・ナイト・シャマラン。製作はジェイソン・ブラム(ブラムハウス・プロダクションズ)。主演は姉ベッカ役のオリヴィア・デヨングと弟タイラー役のエド・オクセンボウルド。

本作はシャマラン監督の「原点回帰」と評される復活作。“怖さの作り方”を知り尽くした監督が、もう一度シンプルに恐怖を突き詰めた作品でもある。低予算・POV(主観映像)スタイルで挑み、全世界で9800万ドル超の興収を記録。批評家からも好意的な評価を得た。

超常現象やSF要素を一切使わず、「普通の老人の異常な行動」という素材だけで恐怖を作り上げた演出力が高く評価されている。

この映画が刺さる人

  • じわじわくる“違和感系ホラー”が好きな人
  • どんでん返しで見え方が変わる映画が好きな人
  • ジャンプスケアより心理的に怖い作品を求めている人
  • ホラーだけでなく人間ドラマも重視したい人
  • 『シックス・センス』系の構造が好きな人

「初めて会う祖父母」という設定の妙

フィラデルフィアに暮らす15歳の姉ベッカと13歳の弟タイラーは、母親の実家を初めて訪れることになった。母ロレッタは19歳のとき高校教師と駆け落ちし、以来15年以上にわたって自分の両親と絶縁状態にあった。インターネット経由で連絡が取れた祖父母が孫たちを農場に招いたのだ。

映画好きのベッカはこの旅をドキュメンタリー映画として記録しようと、カメラを持って出発する。「母と祖父母を和解させるきっかけにしたい」という動機から。

農場に着いた二人は、祖父母から3つの約束を告げられる。「楽しい時間を過ごすこと」「好きなものは遠慮なく食べること」「夜9時半以降は部屋から出ないこと」。

最初の夜、就寝時間を過ぎた頃、廊下から奇妙な物音が聞こえてくる。ドアを開けると、祖母が全裸で壁を引っかきながら嘔吐していた。

POV形式の「上手さ」について

この映画の最大の武器の一つが、POV(point of view)形式の映像スタイルだ。

姉ベッカがドキュメンタリー映画を撮ろうとしているという設定が、手持ちカメラの映像を自然に正当化する。ブレて見づらいだけの「なんとなくリアル感演出」ではなく、「映画好きの15歳の少女が撮影している」という人物の存在感が映像に宿っているのが大きい。

ベッカはカメラを通して物事を見る。それは彼女の「現実から一歩引いた視点」の比喩ではないか。

さらに秀逸なのが、映像が手持ちカメラと固定カメラを使い分けている点だ。日常的な場面では手持ちカメラ、緊張が高まる場面や感情の吐露には固定カメラ——そのメリハリが映画全体にリズムを与え、飽きさせない。

このPOVは本作の「演出」だけではなく、ベッカの“生き方そのもの”になっている。

「老人の奇行」という恐怖の絶妙さ

この映画の前半から中盤にかけての不気味さは、「認知症かもしれない」というリアルな線と「もっと別の何かかもしれない」という超自然的な線の間をずっと揺れることで生み出されている。

夜中の徘徊、全裸で廊下を歩く祖母、使用済みの大人用オムツをためこむ、カメラのレンズを布で塞ごうとするなどの奇妙な行動——これらは「高齢者のある種の混乱」として説明できなくもない。そこがポイントだ。

「ありえなくはない」範囲の奇行を積み重ねることで、観客に「外からの恐怖なのか判断できない」という特殊な宙吊り状態を作り出す。

オーブントースターの扉を何度も開けるシーンが何の意味もなかったというのも、この映画の演出の巧みさの象徴だ。「何かが起こりそう」という緊張を高めておいて、何も起こらない。その「空振り」でさえ怖い。

どんでん返しの正体

物語中盤、ベッカとタイラーはビデオチャットで母に「祖父母」の姿を見せる。しかし母の顔色が一変する。

「その人たちは誰?私の両親じゃない」

農場にいる「祖父母」は偽物だった。本物の祖父母は精神病院でカウンセリングのボランティアをしていたが、そこで知り合った精神病患者の二人が、「孫が会いに来る」という話を聞いて病院を脱走。本物の祖父母を殺害し、なりすましていたのだ。

地下室に入ったベッカが発見したのは、本物の祖父母の遺体だった。

この真実が明かされた瞬間、それまでの「老人の奇行」がすべて別の文脈で読み直される。「認知症かもしれない」と思って許容していた数々の行動が、「精神を病んだ危険な他人」の行動として再解釈される。この「記憶の上書き」がシャマランのどんでん返しの真骨頂だろう。

これは“驚き”ではなく、“認識の崩壊”による恐怖だ。

「鏡を見ない」ベッカの意味

この映画には、恐怖の外側にもう一つの物語が流れている。姉弟の内面の傷と、その回復の物語だ。

ベッカは鏡を見ない。歯を磨くときも俯いたまま、服を裏返しに着ることもある。

その理由は父親の不在にある。父が家を去ったとき、ベッカは「自分が映像に撮っていたから、その瞬間に気づけなかった」と自分を責め、以来カメラを通してしか世界を見られなくなった。

「カメラ越しに見る」ことは「直接向き合わない」ことの比喩でもあるのだろう。

ベッカはずっと、自分自身から目を背けている。

一方タイラーは父の離婚以来、極度の潔癖症になった。二人ともそれぞれの形で「傷と折り合いをつけようとしている」。

ラストシーン、ベッカは生まれて初めて父親の映像を編集した映像の中に組み込む。それは「父を許した」という宣言に思える。それと同時に、自分に向き合い始めた証でもある。

タイラーのラップについて

この映画で賛否が分かれる要素が、弟タイラーのラップだろう。

しかしこれが最後にきっちり機能する。クライマックスで偽の祖父に追い詰められたタイラーが、ベッカを守るために体を張る直前、ラップを刻む。

それは緊張を解くためか、自分を鼓舞するためか。ラップという「コミカルな特技」が、少年の「勇気の儀式」として機能する瞬間だ。

一見ノイズに見える要素を、最後に意味あることへ変えるのが巧いと思う。

「ホラー+ヒューマンドラマ」という可能性

『ヴィジット』を「怖い映画」として評価するか「感動する映画」として評価するかは、見る人によって大きく分かれる。

シャマラン監督は本作で「家族の和解」と「ホラー」という一見かけ離れた要素を見事に共存させたと思う。

この映画の怖さは、スクリーンの中だけで終わらない。

「世界は思っているほど悪いところじゃない」というラストの言葉は、ホラー映画としては異例なほど柔らかい。でもその柔らかさこそが、この映画の本質だろう。


M.ナイト・シャマラン監督・脚本

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